読み取るという力(ちから)。
先日webサイトの「ほぼ日刊イトイ新聞」の中の、とある対談から「なるほど」と思ったことがあった。
それは、イトイさんと書家の石川九楊さんとの対談からだった。

その対談は、イトイさんが「おちつけ」グッズを販売しようと企画し、その「おちつけ」のひらがな4文字を誰に書いてもらおうかと考えて、書家の石川九楊先生に以来したことがきっかけで、そこからの対談でした。

対談は「おちつけ」という言葉をどうしてグッズにして販売しようとしたのか?そして、その石川九楊さんが「おちつけ」という言葉をどう解釈して、その書にしたのか?という内容でした。

話はそのまま「書の本質」に及びます。
すると、書は「読む力」が大事で、書は「触覚の芸術」だと言っているのです。

ボクら素人な見かただと「視覚の芸術」なのだという認識ですが、書を追求している人にとっては「触覚の芸術」なのだということです。

そこには「読む力」が必要不可欠で、その書をどうやって書いているかの手触りを自分で感受しながら、「どんな感触を書こうとしているのか?」「どのような筆の感触を感じながら書いているのか?」それらを感受できれることが書は大切なのだということを語っておりました。

これは、コーヒーの「質を見る」というところと共通点が多く、それが「読む力」と言われておりました。
テイスティング能力の最たる能力は、その「読み取る」という能力なのだと思っています。

テイスティングの最たる能力はコーヒーを飲んで、「この作り手は、どういった表現をしたいがために、どういった仕入れをし、このコーヒーをどう焙煎しているのか?」を、口内に広がるフレーバーから「読み取る」という能力なのだと考えています。

それが理解できるようになることで、いろんな背景が見れるようになるということです。
それに伴い、「質の良さという美味しさ」が徐々に見れるようになっていき、いろんな理解が進むことなのだと考えているのです。

 


 


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