良質な美味しさには、意味がある。
昨日の寝落ちしたときに観たテレビ番組は、NHKの鶴瓶の家族に乾杯の再放送でした。
広島の三次市で「完全放牧酪農」を営んでいるお宅に、ゲストの常盤貴子さんがお邪魔をしたことが放映されておりました。

常盤さんは、ドラマで「完全放牧酪農」をする酪農家の役をしたことがきっかけで、「完全酪農」に興味があったらしく、広島県三次市で人づてに、美味しいチーズを作っているという「完全放牧酪農」をしている人の宅にお邪魔していました。

そしてその番組内で、その酪農をしている人の言葉が、
「自然の中で放牧して、牛が食べたい草を食べさせているのですが、そうすると牛乳の量は一般的な穀物を与えて搾乳する量と比べると1/3程度しか絞れないんですが、量が少なくなるけれど牛乳は濃度があって美味しくなるんです。」
というようなことを話されておりました。

これを聞いて、理解しました。
なんで「完全放牧酪農」が普及しないのかがです。

美味しいのはわかっていても、牛乳の量が少ないので、収入が少なくなるということです。
そして、以前から聴いてはおりました「グラスフェッド」という言葉をです。
グラス=牧草・フェッド=食物(えさ)が、完全放牧酪農のスタイルということです。

牛乳を搾乳して売っているだけの酪農家では、たぶん生計が立たないのだと考えられます。
自社で搾乳した牛乳を加工して、それを販売して初めて成り立つ運営なのだと推測できます。
ですから、牛乳だけの販売では完全放牧酪農は成り立たないのだとボクは思ったのです。

そして、やはり美味しさは「自然のまま」にあるということです。
昔ながらの、放牧をして牛が勝手きままに好きな草を食べて、それを搾った牛乳は、穀物などのエサを与えた牛乳と比べると臭みが無く、成分の濃縮されて美味しいということです。
品質は、人によって左右されてしまうのですね。
それが与えるエサ(環境)の違いで、品質は左右するということです。

これが、品質の原理原則なのではないのか?ということなんだと思ったのです。
品質を向上させるのも「人」ですが、品質を落とすのも「人」。
自分はどうしたいのか?
どう生きたいのか?
それを決めるのも人なのだということです。

ボクが決めた道は、まずは「そのちがいが判るようになりたい。」でした。
そこが判れば、理由が判るからです。
そして、それがわかるようになってくると、本当の素晴らしさが見えてくるんです。

 


 


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