雨粒を弾くものと弾かないもの。
香茶屋では、しばらくの間、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、店内での飲食は自粛させていただく形をとり、コーヒー豆の販売およびテイクアウト・ドリンクコーヒーのみの営業とさせていただいております。

お客さまが入店されている時は、お店のドアも開放させていただき、お客さまの入店人数も制限させていただく形でしばらくは営業させていただく予定です。

営業時間も短縮しています。
11:00 ~ 18:00 の営業時間で、コーヒー豆の販売およびテイクアウト・ドリンクの販売とさせていただいております。
ご了承ください。

来週から、喫茶コーナーでの飲食をどうしようか考えています。
詳細が決まりましたら、ご報告いたします。


<本日のブログ>

今朝、車をお店から少し離れた駐車場に止め、そこから雨の中を傘をさして歩いてきた。
木々に落ちた雨粒が、葉や枝、幹に濡れながら雨粒だった水は下に落ちる。

木々に染み込む雨粒と、木々が弾いて落ちる雨粒がある。
葉は、雨粒を弾く木々がほとんどで、枝も先端に近くほど雨粒を弾いている。
しかし、幹になると、幹の色が濃い「マットな茶色」となり、水を弾かずに染み込んでいる。

逆に雨粒を弾くものは、表面がツヤツヤ、ツルツルしていて、色も光沢があったりする。
雨粒を弾くものと、弾かないもの。

その違いが、表面の色が光沢とマットさの違いだったりするのだと思った。

コロナによって見えてくること。
香茶屋では、5/10(日)までは、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、店内での飲食は自粛させていただく形をとり、コーヒー豆の販売およびテイクアウト・ドリンクコーヒーのみの営業とさせていただいております。

お客さまが入店されている時は、お店のドアも開放させていただき、お客さまの入店人数も制限させていただく形で期間中は営業させていただきたいと思っています。

営業時間も短縮する考えでいます。
5/10(日)までの期間は、11:00 ~ 17:00 の営業時間で、コーヒー豆の販売およびテイクアウト・ドリンクの販売とさせていただきます。


<本日のブログ>

先日、ほぼ日のイトイさんのブログを読んでいると新宿駅の1日の利用客数は353万人もいるということが書いてあった。
今は行動を8割減らそうと言われている時なので、8割減らしても新宿駅を利用する人たちは1日で70万人もいるということが書いてあり、その数字にびっくりさせられました。

そして、昨晩の静岡県内のニュースでボクのお店のある町、舘山寺温泉を往来した人数が発表され、80%減になったとして放送しておりました。
でも、その人数は公表されておりませんでしたが、一体どれくらいの人数の往来があったのだろうか?
どう考えても70万人という人の数ではなかったことは理解できます。

これらを考えた場合に、やはり都会と地方では規制の仕方が異なっても当然なのだと考えられます。
なので、知事や市長らがそれぞれの地域での行動の取り方をきちんとしたルールとしてまとめて、「私たちの街は、このルールで!」とそれぞれの地域でのルールを掲げてくれるといいのになぁと思ってしまいます。

「日本全国で、」というルールではなく「私たちの地域では、」という地方のルール。
都市封鎖という形ではなく、経済を動かしながらという日本独自の形を取っているのなら、地域ごとで規制と緩和を上手いこと動かしながら、感染者数をコントロールしながらの基準の指標を作ってもらいたいと思うのはボクだけでしょうか?

これを機に、都会の生活がこりごりならば地方に移住すればいい。
そして、その指標が地域ごとの対策のあり方を見比べることで、地域の人びとの考え方が見えてくるような気もします。
このコロナ禍によって炙り出される人びとの行動や言動には、本質が見え隠れする要素があると感じているからです。

なので今はいろんなニュースなどで言動や行動をじっくりと観察していることが面白いのです。
今は、隠れていたものがコロナによって炙り出され見えやすくなり、いろんな人たちがいろんな思いを抱くことだと考えています。
そしてこの騒動が落ち着く時に、その想いを行動に移し始めることだと思っています。
そのために、いまはじっくりと観察なのです。

気持ちから。
この新型コロナウイルス騒動のさなか、実家のネコが皮膚病にかかってしまい、本日は午前中は動物病院に出向いておりました。
お店を午前中は臨時休業としてしまい申し訳ありませんでした。

ですが、人や動物の病気も、自然災害も、「新型コロナウイルス」とは関係なく突然降りかかってきます。待ってはくれません。
「新型コロナウイルスだから今は待ってくれ」は通用しないのです。

だからこの「新型コロナ」は、医療従事者にとっては2倍も3倍も疲れる疲労困憊の天災なのだと思います。
でも、ボク自身の身に降りかかっていないので、実際にはどれほど大変なのかが想像でしか計れません。

肉体的にも、いろんな意味で精神的にも疲れているのだろうと思うと、やはり政府は医療関係者に対してもっと手厚くフォローするべきだと思います。
たぶん、これからもっと長い戦いになると思うので、今疲れきってしまっていては長期戦を戦い抜く気力も、体力も持ち堪えることができなくなってしまうと想像できるからです。

今の小学生や中学生が、この「新型コロナ」のパンデミックを振り返り、医療従事者のヒーローぶりを肌で感じ将来の夢が医療従事者になりたいと思える、そんな環境を整えてあげる必要があるのだと思います。

とりあえず、ボクたちが出来ることは、医療従事者に対して尊敬と「ありがとう。」というエールを贈ることなんだと思います。

なのでボクたちが、出来る限りコロナウイルスに対して陽性にならないように、今は必要以上に出歩かないという行動を自粛をすることこそが、医療関係者への手助けとなるはずです。
この新型コロナウイルスを人災に仕立てあげないためにも、1〜2年の長期戦になると言われておりますが、人としての自粛という行動が求められていると思っています。
目で見えるモノだけが医療従事者を助けるという意味ではないと思います。

直接、目では見えない手助けも、きっと届くはずだと思います。
まずは、想いという気持ちから。

ひとりでも楽しめる趣味。
こんな時期なので、ひとりで出来る歌のトレーニングをするために無料のYouTubeなどのボイトレを見ていたりする。

ある程度、高音が出るようになり歌声に幅が出るようになってきて、次に思うことは「音程」が悪いなぁと思うこと。
なので「音程をよくするために」次に取り組むためのトレーニング方法をいろんな無料のボイトレの講師が言っていることを聞いていると、共通点があることがわかる。

それが音階の音(ドレミファソラシと半音の12音)を理解するということです。
その音階がきちんと分かってくると、和音に入っている音の、何の音が入り混じっているのかがなんとなく分かってくるのだそうです。

これは、フレーバーに置き換えてみて考えると理解もスムーズで、きちんと理解できるようになってくると脳が進化してくるので、混じり合っている幾つかの香りや味わいの要素を分解して見ることができるようになり「何が混じっているのか?」が理解できてきたりするので「同じだなぁ」と感じながら説明を聞いていたりします。

なので、次のボクのレッスンとしては音階を理解するというところなんだと考えています。
耳で聞いた音階をきちんと音が見えるようになることで、声という楽器でも音階とおりに鳴らせれるようになるということなんだと思います。

スマホってとても便利なので、自分の歌声を録音してみると、どれだけリズムと音程を外しているのか?が理解ができます。
とても人に聞かせれるレベルでは無いことが明確です。
とりあえず、地道ですが少しずつですが、うまくなりたいと思っているので我流ではありますが、がんばります!笑

ソメイヨシノだけが美しいわけではないことに気づく。
この週末は、新型コロナ感染予防のために不要不急な外出や人混みには出歩かないということが叫ばれています。
当店は、スペシャルティコーヒーを販売してその売上の中から生活をさせていただいているので、できましたらコーヒー豆を購入されご自宅でゆっくりと楽しんでもらいたいと思っています。

そして、ご自宅から外出されるときに、今の季節は何もソメイヨシノだけが開花して、その桜だけが美しいわけではありません。
田んぼの中の雑草が芽吹いてきていて、細くシュッととがった緑が一面に芽吹いてきていたり、そこにレンゲの薄紫色の花が咲いていたり、柿の木に芽吹いたばかりの柔らかそうな明るい緑色の葉っぱがとてもキレイだったりします。

それらは、何も遠くまで、そしてわざわざ人混みの中に行かなくても、車に乗ったままでも、そして車から降りたとしても、人が誰もいないところでも、季節の移り変わりを肌で感じ、その美しさを愛でることができます。

こんなときだからこそ、感受性を高め、自然の美しさに触れることをしてみると、意外といろんな発見があることに気づくことだと思います。
そして、何も遠くまで足を運ばなくても、自宅の庭先に、通勤途中に、今まで気にも止めなかったところに、ひっそりと、そして美しい草花が力強く芽吹いていることに気づくはずです。

春は、何もソメイヨシノだけが咲き乱れるわけではありません。
春の芽吹きを、人混みから外れてひとり感じてみることも風情の楽しみ方なのではと思います。

「ゼロ(0)」から「1(イチ)」にする思考。
昨日に続いて今日も「コーヒーが飲めない」という人が、スペシャルティコーヒーを飲んでくれた。
それも、良質なコーヒーなので、「酸味系のトップ・スペシャルティ」のコーヒーをです。

多くの人たちは、「ミルクと砂糖の提供が無い」と言う時点で、「コーヒーは飲めない」という思い込みの選択肢から「飲まずに帰る」を選択しますが、たまにですがボクの「問いかけ」に応じてくれて、「飲んでみる」を選択されるお客さまがおられます。

そして、そういった人は「初めてブラックでコーヒーが飲めて、しかも美味しかった。」と言う感想を笑顔で話してくれたりするのです。

今日もその飲んでくれた人に、なんで飲んでくれたのかを聞きました。
すると「話から、熱量を感じたので飲んでみたくなった。」と言ってくれました。

人それぞれの感じ方ですので、どうしてなのかも人それぞれなのですが、多くの人たちは「ミルクと砂糖が無いと飲めない」と思い込んでいるので「飲まないで帰る」ことを選択する中、ごく稀に「飲んでみよう」と思いたち、そして飲んで、そして「その美味しさに感動する」という衝撃を受けてくれたりするのです。

本来ならば、そのまま帰ってしまうとことが、「飲んでみる」を選択したことで、驚きの経験が起こる。
何もしないで帰っていたとしたなら、「ゼロ(0)」なのですが、それを実際に行動に移したことで「1(イチ)」に出来たことで、今までの人生では感じることのなかった感動を経験することができるのです。

その「ゼロ(0)」から「1(イチ)」は、人生においてとても大きな変化を知るきっかけにも繋がります。
たかがコーヒー1杯を飲めただけのことなのですが、この経験は人生においてとても大きな意識を植え付けることができたと脳は感じていることだと思っています。

このロジックこそが大切なことで、本当に「良いものを作り続けたいと考える人」は、世の中にそれほど多くは存在していないのですが、その取り組み方の姿勢には共通点があるので、その共通点の見分け方がなんとなく理解できてくることでしょう。

その取り組み方の姿勢が見えてくれば、「こだわり」と「本質」の違いが理解できてくるはずなのです。
良質さを追求している人たちは「本質」を理解するための取り組みをしているのに対して、「こだわり」を追求している人たちは「本質では無い」と言うことをなんとなく肌で感じ理解できてくることでしょう。

当店の「ミルクと砂糖の提供が無い」を、「こだわり」から由来しているものでは無いことを、なんとなく肌で感じ取れる人ならば、「本質の追求」を感じ取れるのだと思いますが、それを「こだわり」だと感じとる人には、そう言う目線でしか捉えることは難しいことなのです。

感覚の大切さは、「背景を読み取る能力」でもあるのだと考えていますので、いろんな取り組みの姿勢をいろんな視点から深く考えることができるか否かで、「ゼロ(0)」を「1(イチ)」にすることができるようになるのだとボクは考えています。

「ゼロ(0)」から「1(イチ)」って、実はとてもスゴイことなんです。
それが、できるかどうかで、実際に人生が変わるものなのだとボクは強く思っているのです。

作り手と同じ目線でモノが見えるようになること。
YouTubeで、ボクの趣味でもある「どうやったら歌が上手くなるのか?」を解説している動画があったりするので、それを見ていたりする。
いろんな歌ウマを解説する動画が公開されている中で、いろいろと見ていくと、細かなところまできちんと解説をしてくれている動画があり、歌を上手く歌っている人は「そんな細かなところまで観察をしているんだぁ」と関心をする。

でも考えてみたらそれはどんなことでも同じで、細かなところまで分析をして、そして細かなニュアンスまで表現をしているから「人の心へ届く」のだと思うのです。

細かなところまで気を配っていないモノは、やはり「雑さ」を感じ、細かなところまで気を配っているモノは、無意識の中でも「そこ」に気が付くのだと思うのです。

そして、プロと呼ばれる人たちの中でも、超一流と一流、一流と二流と言う具合にレベルの差は、そういった「そんな細かなところまで観察をして理解し、そしてそれを表現をしているかどうか。」と言うところなんだと思うのです。

細かなところまで「観察をして理解している」までは評論することができる範囲ですが、「それを表現する」となると「創り出す」と言う技量が必要となります。

ですので、一流の作り手になるためには「観察をして理解をして、それを表現する」と言うところまでできなければなりません。

そのためには、まずは「観察をして理解する」と言うことが重要になるのだと考えます。
そこが理解できれば、作り手と同じ目線でモノが見えるようになるということなのです。

それらを楽しむ消費者であったとしても、作り手と同じ目線で商品を見れるようになったとしたなら、感じ方が、受け取り方が変わることだと思うのです。

これからの時代は、そういった豊さを共感する時代でもあるような気がしています。
ですので香茶屋は、そういったことを伝える運営をしていきたいと考えているのです。

心に響くかどうか。
3/13(金)までの平日の営業時間を、10:00 ~ 18:00にしたいと思います。
どうぞ、よろしくお願い致します。


昨日は、確定申告を終えた後に、知人が出展しているアマチュアの絵画の展覧会に足を運んできました。

何年か前からその展覧会に足を運ばせていただいているのですが、年々上手く描かれる人が増えてきていて、続けることの大切さを実感します。

ですが、ボクもコーヒーのプロとして、プロとアマチュアの差というモノがなんとなくですが、分かってきているみたいです。
それは、「心に響くかどうか?」というところなんだと思うのです。

とても上手く描かれていてたとしても、心に響かないものと、絵の技術としては習い始めで技術力はなくても心に響くものがあったりします。
それって、とても大切なポイントで、やっぱり心に響くものが重要なんだと改めて展覧会の絵を見て思ったのです。

そして、絵を見ていて一番気づいてしまった点は「木」です。
ボクは最近、木をよく見て、自然の中で育つ「木」の佇まいって「美しいなぁ」と思いながら見惚れてしまうことが結構あるので、絵の中で描かれる「木」を見て「違うんだよなぁ」と思ってしまいます。

多分それは「洞察力」で、ボクはいつも自然の中で育つ「木」の枝などの空間美に見惚れているので、無意識のうちに「木」を観察できているんだと思うのです。
すると、「ちがい」に気がついてしまいます。
「そうじゃないんだよな。」が分かってしまうのです。

ただ見ているだけではなくて、俯瞰しながら「観察」をすることで、知らず知らずのうちに基準ができてきているのでしょう。

なので、コーヒーも「美味しいなぁ」だけではなくて、俯瞰をして「観察」することで、いろいろと気が付くことができるはずなのです。

そして、「心に響くもの」は、やっぱり「美しいもの」は圧倒的に響くと思いますので、「美しさとは?」をこれからも探求していきたいと考えています。

ボクが考える「気づき」のロジック。
違和感っていう感覚って大事だなぁと最近思っている。

違和感は言い換えると、「しっくりとこない」という感覚なのだということです。
そのしっくりときていない感覚を覚えたときに「なんでだろう?」を発動できるかどうか?が、気づくためには必要なのだと最近思っています。

気づくためのロジックは難しく、「気づき」は今までの人生の中では、感じたことのない、または考えたことのないような未知の領域の発見です。
その未知の領域に気づくのですから、それはとってもすごいことで、なかなかそこに気づけることは並大抵なことではないということです。

ただ、ボクの勝手な解釈なのですが、今までの人生で「気づきを得るためのロジック」に必要な要素があることが分かってきていて、それは「点」を集めるということです。
ボクの言う「点を集める」は、いろんな言葉、表現、情報、知識を偏らず(こだわらず、囚われず)に「点」としてインプット(記憶)をすることだと考えています。

点を集め、点の数が増えていくことで、いつしか点と点が繋がりだす瞬間が起こり始めます。
それが「気づき」のロジックです。
ですので、点の数を増やすために、点を集めるためのインプットこそが重要なのだという考え方です。

言い換えると、「違和感」を感じることも「気づき」なんですよね。

行動を起こすこと。
当たり前のことなのですが、行動を起こさない限り、何かしらの発見とか、出会いだとか、情報は入手できないものだとボクは考えています。

そして昨日、今年のバレンタインの催事に浜松市では唯一の百貨店に出向いてきました。

今年はすでに調べて知っていたのですが、ボクと相方がイチオシするショコラティエ「ジャン・フィリップ・ダルシー」さんのチョコの販売をしていないという事実です。
今年は日本では「ダルシー」さんのチョコを口にすることができないのです。
もうすでに「ダルシー」ロス状態で、心に穴がポッカリと空いてしまっている感じです。

ですが年に一度、海外の有名ショコラティエのチョコレートが購入できる催事は他にありませんので、頑張って足を運んできました。

今年の発見は、今のところ2つありました。
一つは、昨年も販売をしていた、鎌倉のcacaoさんの素材について。
そして、もう一つは、ベトナムのオーガニック・チョコレート屋さんで一緒に置かれていた「カカオニブ」を食べさせてもらったことの2つです。

そして、そのベトナムの正規販売店が浜松市にあると伺い、ショップ店員さんがベトナム人の女性で、いろいろとお話をさせていただいたのですが、そのショップから立ち去る時にふと思い立ち、「浜松でベトナム料理の美味しいところ知っていたら教えてください。」と、チョコレートとは異なる情報ですが、ベトナム料理の情報を聞くことができたことも、とても大きな収穫の一つでした。

良質な美味しさの理由を理解できることも、そういう足を運ぶ行動があってあらためて理解できることもありますし、やはり足を運ぶことで気づくこともあるので、気になることがあるのなら、実際に足を運ぶという行動を起こすことが大事なことだと思いました。



 


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