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真似る。ということについて。
何に対しても、この「真似る」はとても有効的なことなのだと考えられます。
味を真似るために、素材やレシピを真似たり、有名なファッションリーダーのコーディネートを真似たりもする。
真似ることがやはり近道で、それをすることでの気づきもあるのだろうと思う。

誰かが革新的なことを発見すると、それを真似る人が続出し、世の中にその類似品が多く登場するようになる。
そして、その革新的であったものは、真似られることで、その時代を作り出すことになる。

「真似る」から得られるものは、とても大きなものなのだと思える。

なので、とりあえずは「真似る」から始めた方が、成長が早いのだと考えています。
ただし、これは「目指すモノや人」がいてはじめて「真似る」ことができるので、もっと上に行きたいと考えた場合には、「真似る」ことでは物足りなさを感じるようになり、革新的なものを作り出すためには「真似る」では限界があることに気づくようになることでしょう。

ある程度までは、「真似る」ことでいろんなことを吸収し勉強になるのですが、あるレベルになってからは「オリジナル」という独自性が必要となることを知るのです。

そこからが、新たな境地で、失敗を繰り返さなければ、たどり着けない場所であるのだと考えています。
当店の場合は、周りに影響されないように、10年ほど閉じこもっていた時期もあるくらいです。
浦島太郎状態にはなりますが、周りから影響を受けないので、ガラパゴス化し、独自の考え方や論理が根付きます。
ただ、そこまで我慢できるかどうかが問題なだけで、そこを確立するようになるには、やはり10年という年月は必要になるのかもしれません。
結果そうだったと言うだけで、もっと短い年月で確立する人もいるのだとは思いますが、それでも数年はかかってしまうのだと思っています。

音楽のチカラ。
クリスマスが終わり、これで無事年末と年始を迎えられるとほっとしている。
そんなこともあって、昨晩はお風呂に入ってから食事をしたら、疲れと安心感でソファで寝落ちしてしまっていました。

はっと、寝ていたことに気づき、お布団で寝なくてはとつけっぱなしのテレビに気づくと、ちょうど小田さんの「クリスマスの約束」というテレビ番組が始まったところだった。
「そうか、今日だったのか」と思い、見たかったのでそのまま見入ってしまいました。

音楽のチカラというものを毎回感じさせてくれるテレビ番組なので、今年も見れてよかった。
それを、クリスマスの日に放映してくれる。

なんか、幸せな気分のまま寝ることができてよかった。

あとは、年末まで頑張りたいと思います。

姿勢を学ぶ。
そう言えば先日、コーヒー関係の会社の焙煎をする人との会話で、以前ボクが在籍していたコーヒーの会社を訪問したことがあったらしく、その焙煎している現場を視察したことがあったというお話を伺いました。

もうボクがその会社を辞めたのは18年も前のことですので、焙煎工房も手狭になっていたこともあり、ボクが辞めてから数年後に焙煎工房も移転をしておりました。

ですので、焙煎をしている環境がボクが在籍しているときとは、もう全然異なることだとは思うのですが、その焙煎の現場を視察して驚いたことがあったと言っておりました。

それは、焙煎直後にすぐにカッピングをし始めたことがびっくりしたと語られました。
ボクが在籍していた頃は、まだ社長と2人で焙煎をしていて、ボク1人で2台の焙煎機を使って日常的に焙煎作業をしていましたので、そこまで全ての釜ごとにカッピングが出来るような余裕がありませんでしたが、やはりそれは社長の背中を見ていてハッとしたことがきっかけで、出来る限りカッピングをしようと思ったのでした。

それは、社長は自分自身が焙煎したコーヒーは全てカッピングをしていたからです。
一見、そんなこと当たり前のことだと思うかもしれませんが、圧倒的に仕事量が多い最中に、その時間を作りカッピングすることが実はとても難しいのです。

現に、そのコーヒー関係の会社に勤めるその方は、そのカッピングをしているその姿勢を見て、「びっくりした」くらいですので、いかにその当たり前の姿勢が難しいかということです。

ですが、今から思えばですが、それが普通のことになっているので、今のボクがあるということです。
人から何を教わるのか?
それは、物事に対する姿勢を学ぶのだとボクは考えています。
実のところ、そこが一番重要なところなのです。
作業とか、やり方とか、そんなところは誰にだって出来ることなのですから。

やっぱり、凄い人というのは、やらなければいけないことをキチンとやってのけている、その姿勢にあるのだと思っています。
ボクもその会社で社長と一緒に働けたことが、今のボクの財産になっているのです。

ゴッホ展を見てみたい。
先日の定休日に、時間をつくって映画を見に行った。
ここら辺りでは、豊橋のユナイテッド・シネマ豊橋でしか上映していませんでしたので、どうしても都合をつけて見たいと思ったのです。

映画は「永遠の門・ゴッホの見た未来」という作品でした。
ボクはそれほどゴッホのことを詳しく知ってはおりませんし、その絵を見てもそれほど多くのものを感じとることもまだできません。

強いて言えば、うちの相方が「ゴッホが好き」だというくらいでしょうか。

そして、これは映画の話からは少し逸れてしまいますが、今年大災害を引き起こした大型台風が去った後に散歩をしていて、うちの相方が気がついて、感動していたことがありました。

それは、大風によって収穫し終えた稲の穂が吹き飛ばされ、田んぼの端に吹き飛ばされた稲の穂が風によって寄せられていた風景を見たことです。
これ、ゴッホの絵によく描かれている、背景や空の背景に似ていると思いませんでしょうか?



これは人によって受け取り方が違いますが、ボクは「ゴッホは目に見えない風の流れが見えていたんだ」と思ったのです。
これは、人が作り出したものではなくて、自然の風のチカラで描かれた景色なのだということなのです。
なので、風の動きがそのまま目で見える形となって残ってしまったのです。

ボクたちも、ゴッホの絵を見てその形が脳裏に残っていたので、気がついたのですが、なんの情報も無しに、この風景を見ても何も感じなかったことでしょう。
ですが、ボクたちはゴッホの絵を知っていた。
だから、気がついた。

ゴッホは、何もない無の状態から、この風の流れに気がついていた。
映画の中でも言っていたのですが、ゴッホは自然の中の描写をとても大切にしていました。
そんな自然の素晴らしさを知っていたゴッホだからこそ、目では見れない風の流れを気づいたのかもしれません。

たぶん、まだまだボクの気づかない自然美がゴッホの絵の描写にはあるのだろうなぁ。
そんなことを思いながら、実際の絵を見てみたい。

今、ゴッホ展やっていますので。

「趣味」を育てるのは、興味から。
イベントに出店するようになって、初めて浜松市で開催されるイベントを調べるようになりました。
すると、これがいろいろとイベントが開催されていることに気づきます。

興味が出るだけで、今までと視点が変わり、そしてゆくゆくは行動も変わる。
その出発点が、「興味」という「動機」なのだということです。

いくら些細な興味でもいいので、まずは調べてみるということが大切かも知れません。
今の時代はネット環境があるので、まずはネットで調べてみる。
というように、興味の種を摘まないように、少しづつ育ててあげると、本当に興味のあるものは実際に行動に移っていくことでしょう。

ボクも、元々はコーヒーが好きなわけでもなく、大阪で暮らしていた頃に、たまたま入った喫茶店が自家焙煎珈琲店で、お店に入った瞬間にコーヒーの香りが漂っていて、飲んでもいないのに「ここのコーヒーは美味しい」と脳が理解して、不思議と「このお店で働きたい」と繋がっていってしまったことが、ボクがコーヒーの道に進んだきっかけでした。
その喫茶店に入っていなかったら、ボクの人生は変わっていたかも知れないのです。

きっかけは些細なことなんだと思うのです。
その些細なきっかけを、いかに増幅させるかは、やはりその人自身なのだと思うのです。

そのためにも、きっかけ、興味、と増幅してきたら、行動に移して「趣味」としていくことなのだと思うのです。
人生を豊かにするのは、生活の中での楽しみを見つけることだと思うので、それを「趣味」と言うのだと思っています。

人の数だけ、いろんな趣味がありますので、どの趣味が自分に向いていて、そして仕事以外の時間に費やしたいと思える存在になれるのか?
を育てる必要があると思っています。

やっぱり、基本はワクワクなんですかね。

浜松ローカルコーヒーフェス2019 in 浜松城公園が今年も開催されます。
今年も、11/24(日)に浜松城公園でHamamatsu Local Coffee Fes 2019が開催されます。


<*昨年2018年の浜松ローカルコーヒーフェスの様子です。>

今年も多くのお客さまが集まることが予想されますので、運営サイドと出店サイドで何回も集まり、昨年の反省を踏まえて今年のコーヒーフェスを作り上げています。


<*昨年2018年の様子>

コーヒーの提供はもちろんですが、集まってくれるファミリー向けにもいろいろと楽しんでもらえる催しを企画してのvol.2となっていますので、時間に余裕がある方は、ぜひ浜松城公園に足を運んでみてください。


<*昨年2018年の様子です。>

昨年は公園の広場半分の許可しかもらえなくて広場半分での開催でしたが、今年は公園広場全体が使わせていただけることになりましたので、昨年のようにギュウギュウで、どこに並んでいるのか分からないということは無いように運営サイドもキチンと考えています。

よい天気に恵まれますように、皆さんで祈ってください。
屋外のイベントはお天気だけが、不安な要素ですので!

秋の虫の声。
昨晩は、寝ようと思い窓を閉めようとして気が付いた。
台風が通り過ぎて、虫の声が「秋の虫」の声に変わっていた。

立秋を過ぎたから、暦の上では秋なので、秋の虫の声がしていてもおかしくないかもしれないけれど、季節の移ろいが、「台風が通り過ぎたら」という1つの出来事を境に変化するというところが、面白くもあり、そして儚さを感じるところでもあるのです。

暑い暑いと言っていますが、季節はもう8月中旬です。
日が暮れる時間も徐々に短くなり、8月が終わる頃にはもっと日暮れの時間が短くなることでしょう。

5月に田植えをした稲が、今では稲穂となり、まだ青々とした稲の穂ですが、背丈がかなり伸び、風に吹かれる姿がとても綺麗に目に留まります。

年を重ねるごとに、目で見ている世界が、今までの視点とはちがってきて、自然の移り変わりなどを捉えるようになってきていたりすることに気づきます。

同じ景色が流れていますが、実際に見て感じている景色は、一人一人ちがうのかもしれません。
なので、同じ箇所を感じ共感できる人たちが、価値観を共有し、同じ時間を共有したくなるのでしょう。

そう考えると、人って面白い生き物なんだなぁと思いますよね。

自分だけの空間と時間。
最近、実家で飼っているネコの寝場所が頻繁に変わっている。

一般的には、「ネコは涼しい場所を知っている」と言われているが、うちの実家のネコの場合の基準は、「涼しい場所」よりも「自分だけの場所」の方が上回っているみたいだ。

先週くらいまでは、2階の以前ボクが使っていた部屋の中にあるダンボールの中がお気に入りだったのですが、そこが見つかってしまってからの今週は、1階の空いたダンボールの中に居て、しかもどうやって入るのかフタが閉じている中で寝ていたりした。
今日になるとまた居場所が変わっていて、どこで寝ているのか判らない。

うちのネコは、お気に入りだった場所が人に見つかるようになると、寝場所を変えるので、「自分だけの場所」がイチバン大切な選択肢なのだろうと思っている。

こういう心理は人間でもあるもので、「自分だけの場所」はとてもパーソナルな空間で、しかも親しい人であったとしても、一緒には居たくなかったりする。

ボクには、日常的にはそういった空間は無いのですけれど、山に行った時の「1人用テント」なんかがそういった空間なのかなぁと思う。

たまには、自分だけの空間で、自分だけの時間を過ごすという至福な空間と時間は必要なものなのだと思います。

「こだわり」は「囚われる」と同じ意味合い。
先日、「囚われる」ことで「見えなくなる」ということを書きました。
実のところ、この「囚われる」という現象は、言葉を置き換えると「こだわる」ということとイコールになります。

よくテレビや雑誌で、「こだわり」が凄くて素晴らしいなどと表現されている現象を耳にすると、現代の一般的な意味合いでは「こだわり」という表現はとてもポジティブに聞こえます。

ですが、モノ作りのボクの感覚では、「こだわり」=「囚われる」は本質からは外れてしまう感覚となりますので、とてもネガティブな印象を持っています。

出来るだけ「囚われない」ようにするためには、どうすれば良いのかを考えますし、「囚われない」という意識はどのように俯瞰すれば良いのかを考えたりします。
それくらい、囚われない心の持ちようは、とても難しさがあるという考えを持っています。

ですが、一般の人は「こだわり」を持った方が良いものが作れるという認識ですので、もう出発点が真逆だったりします。
本質を追求しようと考えている人たちは、避けても通れないのが「囚われる」=「こだわる」というところだったりするからです。

同じ言葉でも、人によってはその認識は真逆の意味合いだとする。
ここに、難しさがあるということです。

では、本質という美味しさはなんなのか?
ここが意味するところというのも、人によっては真逆が存在しているということです。
ただ単に「美味しさ」だけでしたら、人それぞれの主観ですので、「人によって」が有りな価値観となりますが、「本質の美味しさ」という表現だと、一気にとても難しくなるということです。

そのためにも、言葉の持つ意味合いの本質も理解しなければならないとボクは考えている訳なのです。

想いを「読み取り、受け取る」ために。
大塚国際美術館に行き、この年になって絵画に触れると、絵画からすこしだけ「想い」が伝わるような気がしている。

うちの相方は、「ゴッホの絵が好き」だという。
想像でしかないが、ゴッホはとても寂しく、複雑な想いを胸の内に宿しているからこそ、その絵をみて「複雑な想い」が伝わり胸が熱くなる。

作者が絵と向き合う時間はとても長いからこそ、時代背景からくる思想感や、それまでの人生観、宗教観、恋愛観などすべてがその作者の想いが形となって、絵に登場してくるものなんだと思っています。

最終的に見る側は、食と同じで「好み」になってしまうのだと思うのですが、その作者のその時点の「想い」が「どんなものであったのか?」を、汲み取ることで想像し、よりその「想い」が伝わるものなのではと考えるようになりました。

それくらい優れた作品は、「想い」という気持ちまでもが描写されているということなのだと思うのです。

それらを楽しむためには、やはり「好きな絵」や「好きな画家」がいると、事前にそれを自然と学ぶ時間が生まれますので、ものごとの出発点は「好き」という興味から入ることがいいのかなぁと、より思うようになりました。

「好き」から入って、興味を持ち、そして学びの蓄積をしていく。
そして、それらを「読み取り」そして「受け取る」のです。


当店では、そういった「読み取る」ための能力の育成などをテーマにした、「コーヒーテイスティングの基礎講座」などの講座もおこなっております。
興味がございましたら受講してみてください。



 


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