「ゼロ(0)」から「1(イチ)」にする思考。
昨日に続いて今日も「コーヒーが飲めない」という人が、スペシャルティコーヒーを飲んでくれた。
それも、良質なコーヒーなので、「酸味系のトップ・スペシャルティ」のコーヒーをです。

多くの人たちは、「ミルクと砂糖の提供が無い」と言う時点で、「コーヒーは飲めない」という思い込みの選択肢から「飲まずに帰る」を選択しますが、たまにですがボクの「問いかけ」に応じてくれて、「飲んでみる」を選択されるお客さまがおられます。

そして、そういった人は「初めてブラックでコーヒーが飲めて、しかも美味しかった。」と言う感想を笑顔で話してくれたりするのです。

今日もその飲んでくれた人に、なんで飲んでくれたのかを聞きました。
すると「話から、熱量を感じたので飲んでみたくなった。」と言ってくれました。

人それぞれの感じ方ですので、どうしてなのかも人それぞれなのですが、多くの人たちは「ミルクと砂糖が無いと飲めない」と思い込んでいるので「飲まないで帰る」ことを選択する中、ごく稀に「飲んでみよう」と思いたち、そして飲んで、そして「その美味しさに感動する」という衝撃を受けてくれたりするのです。

本来ならば、そのまま帰ってしまうとことが、「飲んでみる」を選択したことで、驚きの経験が起こる。
何もしないで帰っていたとしたなら、「ゼロ(0)」なのですが、それを実際に行動に移したことで「1(イチ)」に出来たことで、今までの人生では感じることのなかった感動を経験することができるのです。

その「ゼロ(0)」から「1(イチ)」は、人生においてとても大きな変化を知るきっかけにも繋がります。
たかがコーヒー1杯を飲めただけのことなのですが、この経験は人生においてとても大きな意識を植え付けることができたと脳は感じていることだと思っています。

このロジックこそが大切なことで、本当に「良いものを作り続けたいと考える人」は、世の中にそれほど多くは存在していないのですが、その取り組み方の姿勢には共通点があるので、その共通点の見分け方がなんとなく理解できてくることでしょう。

その取り組み方の姿勢が見えてくれば、「こだわり」と「本質」の違いが理解できてくるはずなのです。
良質さを追求している人たちは「本質」を理解するための取り組みをしているのに対して、「こだわり」を追求している人たちは「本質では無い」と言うことをなんとなく肌で感じ理解できてくることでしょう。

当店の「ミルクと砂糖の提供が無い」を、「こだわり」から由来しているものでは無いことを、なんとなく肌で感じ取れる人ならば、「本質の追求」を感じ取れるのだと思いますが、それを「こだわり」だと感じとる人には、そう言う目線でしか捉えることは難しいことなのです。

感覚の大切さは、「背景を読み取る能力」でもあるのだと考えていますので、いろんな取り組みの姿勢をいろんな視点から深く考えることができるか否かで、「ゼロ(0)」を「1(イチ)」にすることができるようになるのだとボクは考えています。

「ゼロ(0)」から「1(イチ)」って、実はとてもスゴイことなんです。
それが、できるかどうかで、実際に人生が変わるものなのだとボクは強く思っているのです。

作り手と同じ目線でモノが見えるようになること。
YouTubeで、ボクの趣味でもある「どうやったら歌が上手くなるのか?」を解説している動画があったりするので、それを見ていたりする。
いろんな歌ウマを解説する動画が公開されている中で、いろいろと見ていくと、細かなところまできちんと解説をしてくれている動画があり、歌を上手く歌っている人は「そんな細かなところまで観察をしているんだぁ」と関心をする。

でも考えてみたらそれはどんなことでも同じで、細かなところまで分析をして、そして細かなニュアンスまで表現をしているから「人の心へ届く」のだと思うのです。

細かなところまで気を配っていないモノは、やはり「雑さ」を感じ、細かなところまで気を配っているモノは、無意識の中でも「そこ」に気が付くのだと思うのです。

そして、プロと呼ばれる人たちの中でも、超一流と一流、一流と二流と言う具合にレベルの差は、そういった「そんな細かなところまで観察をして理解し、そしてそれを表現をしているかどうか。」と言うところなんだと思うのです。

細かなところまで「観察をして理解している」までは評論することができる範囲ですが、「それを表現する」となると「創り出す」と言う技量が必要となります。

ですので、一流の作り手になるためには「観察をして理解をして、それを表現する」と言うところまでできなければなりません。

そのためには、まずは「観察をして理解する」と言うことが重要になるのだと考えます。
そこが理解できれば、作り手と同じ目線でモノが見えるようになるということなのです。

それらを楽しむ消費者であったとしても、作り手と同じ目線で商品を見れるようになったとしたなら、感じ方が、受け取り方が変わることだと思うのです。

これからの時代は、そういった豊さを共感する時代でもあるような気がしています。
ですので香茶屋は、そういったことを伝える運営をしていきたいと考えているのです。

心に響くかどうか。
3/13(金)までの平日の営業時間を、10:00 ~ 18:00にしたいと思います。
どうぞ、よろしくお願い致します。


昨日は、確定申告を終えた後に、知人が出展しているアマチュアの絵画の展覧会に足を運んできました。

何年か前からその展覧会に足を運ばせていただいているのですが、年々上手く描かれる人が増えてきていて、続けることの大切さを実感します。

ですが、ボクもコーヒーのプロとして、プロとアマチュアの差というモノがなんとなくですが、分かってきているみたいです。
それは、「心に響くかどうか?」というところなんだと思うのです。

とても上手く描かれていてたとしても、心に響かないものと、絵の技術としては習い始めで技術力はなくても心に響くものがあったりします。
それって、とても大切なポイントで、やっぱり心に響くものが重要なんだと改めて展覧会の絵を見て思ったのです。

そして、絵を見ていて一番気づいてしまった点は「木」です。
ボクは最近、木をよく見て、自然の中で育つ「木」の佇まいって「美しいなぁ」と思いながら見惚れてしまうことが結構あるので、絵の中で描かれる「木」を見て「違うんだよなぁ」と思ってしまいます。

多分それは「洞察力」で、ボクはいつも自然の中で育つ「木」の枝などの空間美に見惚れているので、無意識のうちに「木」を観察できているんだと思うのです。
すると、「ちがい」に気がついてしまいます。
「そうじゃないんだよな。」が分かってしまうのです。

ただ見ているだけではなくて、俯瞰しながら「観察」をすることで、知らず知らずのうちに基準ができてきているのでしょう。

なので、コーヒーも「美味しいなぁ」だけではなくて、俯瞰をして「観察」することで、いろいろと気が付くことができるはずなのです。

そして、「心に響くもの」は、やっぱり「美しいもの」は圧倒的に響くと思いますので、「美しさとは?」をこれからも探求していきたいと考えています。

ボクが考える「気づき」のロジック。
違和感っていう感覚って大事だなぁと最近思っている。

違和感は言い換えると、「しっくりとこない」という感覚なのだということです。
そのしっくりときていない感覚を覚えたときに「なんでだろう?」を発動できるかどうか?が、気づくためには必要なのだと最近思っています。

気づくためのロジックは難しく、「気づき」は今までの人生の中では、感じたことのない、または考えたことのないような未知の領域の発見です。
その未知の領域に気づくのですから、それはとってもすごいことで、なかなかそこに気づけることは並大抵なことではないということです。

ただ、ボクの勝手な解釈なのですが、今までの人生で「気づきを得るためのロジック」に必要な要素があることが分かってきていて、それは「点」を集めるということです。
ボクの言う「点を集める」は、いろんな言葉、表現、情報、知識を偏らず(こだわらず、囚われず)に「点」としてインプット(記憶)をすることだと考えています。

点を集め、点の数が増えていくことで、いつしか点と点が繋がりだす瞬間が起こり始めます。
それが「気づき」のロジックです。
ですので、点の数を増やすために、点を集めるためのインプットこそが重要なのだという考え方です。

言い換えると、「違和感」を感じることも「気づき」なんですよね。

行動を起こすこと。
当たり前のことなのですが、行動を起こさない限り、何かしらの発見とか、出会いだとか、情報は入手できないものだとボクは考えています。

そして昨日、今年のバレンタインの催事に浜松市では唯一の百貨店に出向いてきました。

今年はすでに調べて知っていたのですが、ボクと相方がイチオシするショコラティエ「ジャン・フィリップ・ダルシー」さんのチョコの販売をしていないという事実です。
今年は日本では「ダルシー」さんのチョコを口にすることができないのです。
もうすでに「ダルシー」ロス状態で、心に穴がポッカリと空いてしまっている感じです。

ですが年に一度、海外の有名ショコラティエのチョコレートが購入できる催事は他にありませんので、頑張って足を運んできました。

今年の発見は、今のところ2つありました。
一つは、昨年も販売をしていた、鎌倉のcacaoさんの素材について。
そして、もう一つは、ベトナムのオーガニック・チョコレート屋さんで一緒に置かれていた「カカオニブ」を食べさせてもらったことの2つです。

そして、そのベトナムの正規販売店が浜松市にあると伺い、ショップ店員さんがベトナム人の女性で、いろいろとお話をさせていただいたのですが、そのショップから立ち去る時にふと思い立ち、「浜松でベトナム料理の美味しいところ知っていたら教えてください。」と、チョコレートとは異なる情報ですが、ベトナム料理の情報を聞くことができたことも、とても大きな収穫の一つでした。

良質な美味しさの理由を理解できることも、そういう足を運ぶ行動があってあらためて理解できることもありますし、やはり足を運ぶことで気づくこともあるので、気になることがあるのなら、実際に足を運ぶという行動を起こすことが大事なことだと思いました。

真似る。ということについて。
何に対しても、この「真似る」はとても有効的なことなのだと考えられます。
味を真似るために、素材やレシピを真似たり、有名なファッションリーダーのコーディネートを真似たりもする。
真似ることがやはり近道で、それをすることでの気づきもあるのだろうと思う。

誰かが革新的なことを発見すると、それを真似る人が続出し、世の中にその類似品が多く登場するようになる。
そして、その革新的であったものは、真似られることで、その時代を作り出すことになる。

「真似る」から得られるものは、とても大きなものなのだと思える。

なので、とりあえずは「真似る」から始めた方が、成長が早いのだと考えています。
ただし、これは「目指すモノや人」がいてはじめて「真似る」ことができるので、もっと上に行きたいと考えた場合には、「真似る」ことでは物足りなさを感じるようになり、革新的なものを作り出すためには「真似る」では限界があることに気づくようになることでしょう。

ある程度までは、「真似る」ことでいろんなことを吸収し勉強になるのですが、あるレベルになってからは「オリジナル」という独自性が必要となることを知るのです。

そこからが、新たな境地で、失敗を繰り返さなければ、たどり着けない場所であるのだと考えています。
当店の場合は、周りに影響されないように、10年ほど閉じこもっていた時期もあるくらいです。
浦島太郎状態にはなりますが、周りから影響を受けないので、ガラパゴス化し、独自の考え方や論理が根付きます。
ただ、そこまで我慢できるかどうかが問題なだけで、そこを確立するようになるには、やはり10年という年月は必要になるのかもしれません。
結果そうだったと言うだけで、もっと短い年月で確立する人もいるのだとは思いますが、それでも数年はかかってしまうのだと思っています。

音楽のチカラ。
クリスマスが終わり、これで無事年末と年始を迎えられるとほっとしている。
そんなこともあって、昨晩はお風呂に入ってから食事をしたら、疲れと安心感でソファで寝落ちしてしまっていました。

はっと、寝ていたことに気づき、お布団で寝なくてはとつけっぱなしのテレビに気づくと、ちょうど小田さんの「クリスマスの約束」というテレビ番組が始まったところだった。
「そうか、今日だったのか」と思い、見たかったのでそのまま見入ってしまいました。

音楽のチカラというものを毎回感じさせてくれるテレビ番組なので、今年も見れてよかった。
それを、クリスマスの日に放映してくれる。

なんか、幸せな気分のまま寝ることができてよかった。

あとは、年末まで頑張りたいと思います。

姿勢を学ぶ。
そう言えば先日、コーヒー関係の会社の焙煎をする人との会話で、以前ボクが在籍していたコーヒーの会社を訪問したことがあったらしく、その焙煎している現場を視察したことがあったというお話を伺いました。

もうボクがその会社を辞めたのは18年も前のことですので、焙煎工房も手狭になっていたこともあり、ボクが辞めてから数年後に焙煎工房も移転をしておりました。

ですので、焙煎をしている環境がボクが在籍しているときとは、もう全然異なることだとは思うのですが、その焙煎の現場を視察して驚いたことがあったと言っておりました。

それは、焙煎直後にすぐにカッピングをし始めたことがびっくりしたと語られました。
ボクが在籍していた頃は、まだ社長と2人で焙煎をしていて、ボク1人で2台の焙煎機を使って日常的に焙煎作業をしていましたので、そこまで全ての釜ごとにカッピングが出来るような余裕がありませんでしたが、やはりそれは社長の背中を見ていてハッとしたことがきっかけで、出来る限りカッピングをしようと思ったのでした。

それは、社長は自分自身が焙煎したコーヒーは全てカッピングをしていたからです。
一見、そんなこと当たり前のことだと思うかもしれませんが、圧倒的に仕事量が多い最中に、その時間を作りカッピングすることが実はとても難しいのです。

現に、そのコーヒー関係の会社に勤めるその方は、そのカッピングをしているその姿勢を見て、「びっくりした」くらいですので、いかにその当たり前の姿勢が難しいかということです。

ですが、今から思えばですが、それが普通のことになっているので、今のボクがあるということです。
人から何を教わるのか?
それは、物事に対する姿勢を学ぶのだとボクは考えています。
実のところ、そこが一番重要なところなのです。
作業とか、やり方とか、そんなところは誰にだって出来ることなのですから。

やっぱり、凄い人というのは、やらなければいけないことをキチンとやってのけている、その姿勢にあるのだと思っています。
ボクもその会社で社長と一緒に働けたことが、今のボクの財産になっているのです。

ゴッホ展を見てみたい。
先日の定休日に、時間をつくって映画を見に行った。
ここら辺りでは、豊橋のユナイテッド・シネマ豊橋でしか上映していませんでしたので、どうしても都合をつけて見たいと思ったのです。

映画は「永遠の門・ゴッホの見た未来」という作品でした。
ボクはそれほどゴッホのことを詳しく知ってはおりませんし、その絵を見てもそれほど多くのものを感じとることもまだできません。

強いて言えば、うちの相方が「ゴッホが好き」だというくらいでしょうか。

そして、これは映画の話からは少し逸れてしまいますが、今年大災害を引き起こした大型台風が去った後に散歩をしていて、うちの相方が気がついて、感動していたことがありました。

それは、大風によって収穫し終えた稲の穂が吹き飛ばされ、田んぼの端に吹き飛ばされた稲の穂が風によって寄せられていた風景を見たことです。
これ、ゴッホの絵によく描かれている、背景や空の背景に似ていると思いませんでしょうか?



これは人によって受け取り方が違いますが、ボクは「ゴッホは目に見えない風の流れが見えていたんだ」と思ったのです。
これは、人が作り出したものではなくて、自然の風のチカラで描かれた景色なのだということなのです。
なので、風の動きがそのまま目で見える形となって残ってしまったのです。

ボクたちも、ゴッホの絵を見てその形が脳裏に残っていたので、気がついたのですが、なんの情報も無しに、この風景を見ても何も感じなかったことでしょう。
ですが、ボクたちはゴッホの絵を知っていた。
だから、気がついた。

ゴッホは、何もない無の状態から、この風の流れに気がついていた。
映画の中でも言っていたのですが、ゴッホは自然の中の描写をとても大切にしていました。
そんな自然の素晴らしさを知っていたゴッホだからこそ、目では見れない風の流れを気づいたのかもしれません。

たぶん、まだまだボクの気づかない自然美がゴッホの絵の描写にはあるのだろうなぁ。
そんなことを思いながら、実際の絵を見てみたい。

今、ゴッホ展やっていますので。

「趣味」を育てるのは、興味から。
イベントに出店するようになって、初めて浜松市で開催されるイベントを調べるようになりました。
すると、これがいろいろとイベントが開催されていることに気づきます。

興味が出るだけで、今までと視点が変わり、そしてゆくゆくは行動も変わる。
その出発点が、「興味」という「動機」なのだということです。

いくら些細な興味でもいいので、まずは調べてみるということが大切かも知れません。
今の時代はネット環境があるので、まずはネットで調べてみる。
というように、興味の種を摘まないように、少しづつ育ててあげると、本当に興味のあるものは実際に行動に移っていくことでしょう。

ボクも、元々はコーヒーが好きなわけでもなく、大阪で暮らしていた頃に、たまたま入った喫茶店が自家焙煎珈琲店で、お店に入った瞬間にコーヒーの香りが漂っていて、飲んでもいないのに「ここのコーヒーは美味しい」と脳が理解して、不思議と「このお店で働きたい」と繋がっていってしまったことが、ボクがコーヒーの道に進んだきっかけでした。
その喫茶店に入っていなかったら、ボクの人生は変わっていたかも知れないのです。

きっかけは些細なことなんだと思うのです。
その些細なきっかけを、いかに増幅させるかは、やはりその人自身なのだと思うのです。

そのためにも、きっかけ、興味、と増幅してきたら、行動に移して「趣味」としていくことなのだと思うのです。
人生を豊かにするのは、生活の中での楽しみを見つけることだと思うので、それを「趣味」と言うのだと思っています。

人の数だけ、いろんな趣味がありますので、どの趣味が自分に向いていて、そして仕事以外の時間に費やしたいと思える存在になれるのか?
を育てる必要があると思っています。

やっぱり、基本はワクワクなんですかね。



 


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