CALENDAR
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
<<前月 2019年12月 次月>>
NEW ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
LINK
PROFILE
OTHER
 

「美しさ」は尊く、そして非凡である。
以前のテレビ番組を見ていたときのことです。
奥さんの年齢がひと回り以上離れた夫婦で、芸術家である旦那さんが言っていた話です。

「年を取ると、枯れていきますが、美しい枯れ方もあるんじゃないかと思っていて、それを見てみたいんです。」
というような内容のコメントだったのです。

なぜだか、ふとその言葉が頭に浮かんだので、それについて書いてみようと思ったのです。

コーヒーの場合も、農作物ですので当然枯れてきます。
見た目以上に、フレーバーに登場してくるものですので、「枯れやすい」と思われる物は、仕入れないようにしています。

「枯れやすい」コーヒーは、ボクの今までの分析ですと、低地産(栽培している標高が低いもの)のコーヒーであったり、生産処理(精製)の質が悪かったりすると、長く持たなくて枯れた香りが液体に登場するようになります。

テロワールや、コーヒーで言うマイクロクライメイト(微小気候)から登場する個性豊かなフレーバーは、地理的な要素となるので、そこを利用して栽培することは「運」や、自分の資産にもよるので誰でもそういった環境を利用することは難しいことですが、生産処理(精製)の品質は、学習し試行錯誤しながらでも良質なコーヒーは徐々に作ることができるようになる要素ですので、そこは人の手が加わる「品質」の要素であると考えています。

確かに、ある程度までは「美しく枯れる」は人の手により作り出せる要素であると思うのです。
人も、年を重ねても「美しくありたい」と思うのであれば、やはりそれは「意思」が大切となり、日々の生活の賜物であるのだと言えるでしょう。
だからこそ尊く、なかなか存在し得ないというものが「美しさ」であるのだと思うのです。

 


 


|  当店のご案内  |  FAQ  |  特定商取引について  |  プライバシーポリシー  |  お問合せ  |