webにて、新商品の販売が始まりました。
本日より、「ボリビア・マルティン農園・FW」のwebショッピングカートでの販売ができるようになりました。

あと、ドリップバッグ・コーヒーの青色・ハイローストの商品が「コロンビア・ビジャファテイマ農園」に変わりました。
こちらもwebショッピングカートでの販売ができるようになりましたので、ご利用ください。

あとは、現在ドリップバッグ・コーヒーの赤色・ミディアムローストの「コスタリカ」が販売終了になっていまして、来週末くらいから赤色・ミディアムローストに「ニカラグア・リモンシージョ農園・ジャバニカ種」が新登場します。
こちらも、webショッピングカートの対応が整いましたらご連絡しますので、もうしばらくお待ちください。


2/2(日)は、出張イベントに参加してきます。
富士市の「富士本町軽トラ市」というイベントになります。

まだまだ、スペシャルティコーヒーと呼ばれる良質なコーヒーの存在をご存知ない消費者が多いので、静岡県内で、食に焦点が当てられた人の集まりそうなイベントに参加していきたいと考えております。

3/1(日)は、静岡市の駿府匠宿で開催される「珈琲Festa(2/29~3/1)」にも参加する予定となっております。

当日は、舘山寺のお店はお休みとなりますので、お間違えのないようにお願い申し上げます。

ボリビア・マルティン農園 FW ハイローストの販売開始。
本日より、ボリビア・マルティン農園 FW ハイローストのコーヒー豆の販売を始めました。
ボリビアは、南米のブラジルの隣国となります。
アンデス山脈のエリアから、アマゾンの熱帯雨林の低地のエリアまで国土が広がっています。

マルティン農園の在る地域は、アンデス山脈と熱帯雨林に挟まれたコーヒー栽培が主なカラナビという産地で、標高1550mのところに位置しています。

今回のマルティン農園の品種は、カトゥーラとティピカの混合されたロットとなります。

今回のボリビアの特徴は、やわらかでスムースな滑らかさと、緑色のウッディやハーブ、そしてオレンジ〜ブラウン系のココアのようなフレーバーが楽しめます。
印象としましては、少しインドネシア系のアーシーな印象に似ています。

ローストレベルは、ハイロースト。
ローストによる甘く柔らかな粘性が楽しめるローストレベルです。

Webショッピングカートの準備が整い次第、web販売をしていきますので、もうしばらくお待ちください。

行動を起こすこと。
当たり前のことなのですが、行動を起こさない限り、何かしらの発見とか、出会いだとか、情報は入手できないものだとボクは考えています。

そして昨日、今年のバレンタインの催事に浜松市では唯一の百貨店に出向いてきました。

今年はすでに調べて知っていたのですが、ボクと相方がイチオシするショコラティエ「ジャン・フィリップ・ダルシー」さんのチョコの販売をしていないという事実です。
今年は日本では「ダルシー」さんのチョコを口にすることができないのです。
もうすでに「ダルシー」ロス状態で、心に穴がポッカリと空いてしまっている感じです。

ですが年に一度、海外の有名ショコラティエのチョコレートが購入できる催事は他にありませんので、頑張って足を運んできました。

今年の発見は、今のところ2つありました。
一つは、昨年も販売をしていた、鎌倉のcacaoさんの素材について。
そして、もう一つは、ベトナムのオーガニック・チョコレート屋さんで一緒に置かれていた「カカオニブ」を食べさせてもらったことの2つです。

そして、そのベトナムの正規販売店が浜松市にあると伺い、ショップ店員さんがベトナム人の女性で、いろいろとお話をさせていただいたのですが、そのショップから立ち去る時にふと思い立ち、「浜松でベトナム料理の美味しいところ知っていたら教えてください。」と、チョコレートとは異なる情報ですが、ベトナム料理の情報を聞くことができたことも、とても大きな収穫の一つでした。

良質な美味しさの理由を理解できることも、そういう足を運ぶ行動があってあらためて理解できることもありますし、やはり足を運ぶことで気づくこともあるので、気になることがあるのなら、実際に足を運ぶという行動を起こすことが大事なことだと思いました。

共通点を見つけて、理解を深めるという学び方。
今日、ちょっと嬉しいことがありました。
それは「本質」ということについての同意をいただいたことのお話しです。

本日、来店してくれたお客さまが、音楽関係のお仕事もされている方たちで、いろいろとコーヒーの質の話を語らせていただいた後に、ずうっとボクの心の中で燻っていた想いを言葉に出して言ってしまいした。

「絶対音感を理解していたとしても、それって質の良い音を理解していることとは違いますよね。」
という 内容の言葉でした。

それを聞いてくださった、その音楽のお仕事もされている人は「そうですよ。絶対音感があるから、質の良い音を表現できるのとはちがいますよね。」と同意をいただけたのです。

ボクは、音の仕事をしている訳ではないので、音に関してのプロの人に「音の質」についてボクの考える持論を肯定して貰えたことがとても嬉しかったのです。
絶対音感というものは、いろんな音が音階として聴き分けることができる能力であって、音が外れているとか、楽譜とおりの音を奏でているということが理解できる能力であって、質の良い音を理解できている能力ではないということをボクは言いたかったのです。

ですので、音楽関係の仕事をするには、絶対音感はあった方がいいとは思いますが、その能力と良質な音を奏でられる能力とは異なる能力であるという「本質」を伺いたかったのです。

それというのも、良質さには「共通点」があるものだとボクは考えているので、ボクは口の中で広がるフレーバーの良質さの理解を学んでいますが、音の良質さや、色の良質さ、それぞれの五感の良質さというものには「共通点」があるものなんだと考えています。

ボクの解釈の中では「良質さ=美しさ」だと考えていて、その「美しさ」は、それぞれの感覚におて「共通点」があるものであると解釈をしています。

ですので、その共通点が見えるようになることで、それぞれの感覚における「美しさ」が理解できてくるものであると考えているわけなのです。

ボクが食のフレーバーの「美しさ」の理解を深めるために、他の絵画や音楽から、その美しさの共通点を探して食のフレーバーにフィードバックしているように、音楽に携わる人たちや、その他の芸術に携わる人たちは、食のフレーバーの「美しさ」から、その共通点を学ぶことで、フィードバックして「本質」という共通点を見出すことができるのではとボクは考えています。

本質というものは、すべてのものに「共通点」が存在し、繋がっている。
それも、本質の考え方のひとつなのだとボクは考えるからです。

言い換えれば、どんなものからでも学ぶ事はできる。
そして、共通する点がある。
このロジックを理解している人は、学び方を知っている。
そして、それを知らない人よりも、早くそれらを身につけることができるものだとボクは考えているのです。
なぜなら、それこそが皆が一番欲しがる能力だからです。

理解するという事は「言葉」もセットで理解が進むということ。
もう何年くらい前になるのだろう?
2〜3年くらい前から、カラオケでうまく歌えるようになれたら「面白いだろうなぁ」と、ふいに思いつき、それからほぼ毎日帰宅時に車の中で熱唱して帰る日々を過ごしています。

最初の頃は、専門用語のヘッドボイスだとか、ミックスボイスだとか、ファルセットだとか、本来のその用語の意味さえ分からなかったので、当然それらを使うことすらできないでいました。

そして、暇な時にwebサイトで無料でボイトレを教えているサイトなどがあり、それを見ながら専門用語や、その特性を理解していきながら、実際に帰宅時の車の中で歌いながら、声の出し方などを試していたりしました。

習い始めの頃というのは、とりあえず高音を出したくて無理して歌うのですが、やっぱり出なくて、ちょっとずつですが偶然出るようになった高音の体の使い方を「あれ?今どうやったっけ?」と体に刻み付けるようにして、ちょっとずつ成長していく過程に面白みを感じながら、続けていました。

でも、やっぱり「無理して出すよりは、自分らしい声質で。」みたいなことを思い、キーを上げないで無理しない音域で歌っている時もありました。

でもでも、やっぱり高音も出したいという思いなどがあり、また高音の楽曲を歌うと、しばらく取り組んでいなかったため、そこで気づきや発見があったりするのです。

そして、今まで気づかなかった「あ、この時にはここに力が入っているんだ。」とか、「喉は閉めながら、こういうふうに力を入れるんだ。」とか、今まで気づかなかった自分の体の使い方などがわかるようになったりすることに気づくようになりました。

そして、理解するという事は「言葉」もセットで理解が進むということです。
「言葉」の持つ意味と、その表現は「対(=イコール)」になっているということです。

ですので、キチンと理解している人というのは、説明ができるものなんだとボクは考えているのです。
あやふやで理解している段階だと、あやふやな言葉使いとなり、曖昧さがあったりするものです。

ですので、ボクも人にキチンと使えるために、言葉の意味までキチンと理解したいと考えているのです。
そのためには、客観視と言いますか、俯瞰して見れるようになることが大事だったりします。

意外とそれができないものなので上達しないのですが、キチンと俯瞰して今の自分が見れる人というのは、自分の不甲斐なさまで見れていますので、ちゃんと一人前になれるように取り組むものなのだと思っています。

あと、勘違いされてしまうと申し訳ないので付け加えておきますが、そんなに歌上手くありませんので・・・。
自己満足のレベルです。笑

「表現力」と「質を読み取る能力」は、まったくの別物。
昨日ブログに書いたことで、また新たに気づいてしまったことがあります。

これは、うすうす気づいていたことなのですが、「表現力」と「質を読み取る能力」は、まったく別物なのだということです。

コーヒーを飲んで、その表現をするために必要な事は、脳にインプットされた「香りの辞書」が必要となります。
その「香りの辞書」に多くの香りがインプットされている場合には、類似している香りを判断することができますので「
「***の香りのような」というコメントができると言うことです。

ですので、脳内に香りを効率良く記憶(インプット)することこそが、表現をするためには必要なことなのです。
その、「効率良く記憶すること」が、ボクがお伝えしている「テイスティングの基礎講座」でお伝えしていることなのですが、そこにはフレーバーの情報を分解して、「粘性」「色の情報」「ボディ感」「酸味」「甘さ」などを分類してインプットをすると言うことをお伝えしています。
それらのほとんどの情報は、「強さ」や「豊さ」の情報なのだということです。

それに対して、「質を読み取る能力」は、「透明感」だとか「粒子の細かさ」だとか、「強さ」という情報ではなくて「情緒的な情報」を読み取り分析をするという能力になります。

ボクも今まで、これをきちんと理解できていなかったために、「表現力」と「質を読み取る能力」をごちゃ混ぜにしてお伝えしておりました。
でも、それだととても難しくなってしまいます。
表現力を磨く場合の、香りのインプットを効率的にする場合と、良質さを感じとるためのトレーニングの手法はまったく異なるのだということなのです。

この違いをキチンと理解できた事は、これから講座を教えていく中で、とっても重要なロジックを理解できたのだと言えることでしょう。

こういった、ひとつひとつの理解をキチンとしていくことで、的確に人に伝えることができるようになります。
このブログの意図も、自分では理解できていない事柄を、書きながら勝手に整理して、気づきに繋がってゆく可能性があるので、これからもこのブログを活用しながら、いろいろと理解の幅を広げていけたらと考えています。

続けることが、とても大事。
以前にも、何回も書いたことなのですが、理解が進むことで捉え方は変わっていくものなので、また書いてみたいと思います。

スペシャルティコーヒーの場合は、評価システムがありSCA方式とCOE方式があります。
当店は、COE方式を採用しているのですが、COE方式ですと評価項目は8つ。
その8つの評価項目をきちんと理解していくことで、いろいろと感覚も向上していくことを理解しています。

その8つは、
・クリーンカップ
*スイートネス
*アシディティ
*マウスフィール(ボディ)
*フレーバー
*アフターテイスト
・バランス
・オーバーオール
です。

そのうちの*印の5つが焙煎の競技会でも採用されているので、焙煎の競技会で上を目指すためにも、この評価項目の理解は必要不可欠な要素となっています。

COEの評価項目の場合は「強さ」で評価するのではなく「質の良さ」で評価しますので、そこがとても難易度が上がります。

たぶんですが、人によって捉え方が違うので、「しっとり」とか「艶やか」といったポジティブな液体の情報をどこの項目で評価するのか?も異なるのだと考えられます。
ですが、たとえ項目が異なっていたとしても、それをポジティブな評価として点数をきちんと付けていれば、トータルのポイントは同じになるので、総合点として評価するのなら問題が無いと言うことです。

しかし、ひとつひとつの項目をきちんと評価していく場合では、それでは困るので「すり合わせ」が必要となるのです。

一般の消費者には、そこまでのレベルは必要ありませんので、とりあえずとしましては、「どういうものが、良質で、どういうものが劣るのか?」が理解できれば、問題無いと言うことです。

個人レベルで出来る、トレーニング方法としましては、コーヒーを召し上がりながら、「各項目ごとにコメントを記入していく」というトレーニング手法を「分からないにしてもやってみる。」ということの積み重ねで、理解が進みます。

この手法は、意識レベルが変わっていきますので、分からなくても続けていくと、徐々に項目ごとの表情が見えるよになってきますので、興味がありましたらやってみてください。

そして、大切な事は「続けること」です。
続けることこそが、一番大切なポイントなのです。

耳を傾けてみる。
ボクが大切だと考えていることに、「耳を傾けてみる」という行動が大切なことだと位置づけている。

「耳を傾ける」と言う内容は、その言葉の通りで、「なになに?」という感じで、耳を傾けて「その話の内容を聞く」という行動を指します。

ボクも含めてなのですが、多くの人たちは、興味の無いことや、自分が理解できないことなどは、「耳を傾けて聞く」ということを意外としないのです。

ですが、少しだけ興味を持ったりすると、意外と耳を傾けて聞いてくれたりするのです。
なので、「耳を傾けてみる」という行動がとれる人は、人の話を聞くことができる人なので、自分に無いものを補うための勉強をすることができる人なのだと考えています。

そして、アンテナを高く張っている人だと、自分の興味のあることに対して、異なる分野のことだったとしても「共通性を見出す」ことができるので、その共通点から自分の興味のある分野を考えることができるようになるとボクは考えています。

そのためにも、まずは「耳を傾けてみる」という行動が大切で、その延長線を想像できる人は、より気づきを得ることができるんじゃないかと考えているのです。

キーワードは、話を聞いて想像してみる。と言うことです。

脳の可塑性とか、シナプスの可塑性を利用しているんじゃないかな。
この言葉を知ったのは、ラジオから聞こえてきた「脳の可塑性」という言葉を聞いたことがきっかけでした。

脳の可塑性は、元々医療の現場で使われる言葉なのですけれど、脳梗塞などで脳の一部が死んでしまったとしても、脳は生きている別の分野の脳を使い、新たに別の回路で無くなってしまった脳の代わりを補う能力があるのだと解明されていて、その無くなってしまった脳の機能を、別の脳の一部が、新たにその代わりを補うように変化していくことを「脳の可塑性」と言うらしいのです。
(*専門ではありませんので、詳しく知りたい場合は調べてみてください。)

これは、もう20年くらい前に飼っていたウチの犬が、交通事故で後ろ足が動かなくなってしまい、獣医さんからは「もう一生治らない」と言われていたのですが、数年後には麻痺は残っていたのですが、よちよちと後ろ足も使い歩くことが出来るようになりました。
これが、脳の可塑性で、シナプスの可塑性とも言われています。

なぜ?こんなことを書いたのかと言うと、脳のスゴイと思えるところは、使い方次第で医学の無理を、可能にすると言うことです。
ウチの犬は、人の言葉が理解できなかったから、獣医さんの「一生治らない」は理解できずに、ずうっと動かない後ろ足に、今までのように「動け」と意識していたに違いありません。
それが、動かない後ろ足を動かせるように働きかけ続けた結果、奇跡が起こったのだと推測します。

要は、「あきらめない」と言う前向きの気持ちが、脳に別の回路を作り出させるのではないのか?と考えるのです。

ボクがある時考えた思考には、今見えていない香りの世界をもっと見えるようになりたいと思う「強い気持ち」に脳が刺激され、何らかの回路を作り出し、より繊細な香りの情報が理解できるようになるのではないかと考えるようになったのです。
それが、ボクの考える「脳の可塑性」と言う意味で、それは「あきらめない」と言う強い気持ちから来ているのではないかと言うことです。

そして、それを可能にさせるためには、その目標とする「世界観の存在を認知すること」で、それを「あきらめない」ということです。

ボクの場合は、ボクが見えていない「香りの存在を認知できたこと」がきっかけで、それを感じ取れるようになりたいと強く思いながら日常生活を送ることから始まりました。

そして、たぶん嗅覚には秘めた能力があるものだと思っていて、五感の中で唯一脳とダイレクトに繋がっている器官は「嗅覚」だけなのです。
その嗅覚を育成していくことで、他の感覚も相乗的に感覚の感度が向上していく事は、ボクも経験することで理解をしているので、偶然だとはいえ、コーヒーのフレーバーの理解のためにする「嗅覚の育成」が、その他の五感にも何らかの作用を働かせるようになるのだとボクは考えています。

ただし、ボクも経験しているように、嗅覚の成長には時間がかかります。
でも、あきらめないで毎日の日常生活の中にトレーニングを組み込むことで、必ず嗅覚はゆっくりと成長をして行きますので、あきらめないで香りのインプットや、香りの存在を意識して生活をしていくことが大切です。

それを続けていくことで、数年後には、ボクの言っていることが少しずつ理解できるようになることだと思います。

「なりたい。」をイメージする。
ボクはイトイさんが運営している「ほぼ日刊イトイ新聞」というサイトをよく拝見している。

イトイさんがそのサイトを立ち上げたのは50歳の時だったという話を聞いたことがある。
今のボクと同じ年に、新たにその会社を立ち上げたのです。

それを考えると、何かを始めるときに年齢というものは関係がないことなんだとインプットする必要があると思ったのです。

この年だから恥ずかしいとか、この年だから先のことを考えるとだとか、それは何かを始める場合の「諦め」に加担するための言い訳であって、願望ではないということなのだと。

イトイさんがある時、「なりたい」を書いたことがあった。
そうなりたい。と言う「なりたい」には「たくさんの気持ちと可能性が入っている。」と言っていた。

ボクもその通りで、「なりたい」っていい言葉だなぁと思った。
だから、ボクもそうだけれど、皆が真剣に「なりたい」を考えれば、とてもポジティブな世の中になるような気がした。

ボクも、ボクが思い描く「なりたい」をより鮮明に思い描けれるようにイメージしたいと思います。
それに向かって「なりたい」が、実現できるように。



 


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