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共通点を見つけて、理解を深めるという学び方。
今日、ちょっと嬉しいことがありました。
それは「本質」ということについての同意をいただいたことのお話しです。

本日、来店してくれたお客さまが、音楽関係のお仕事もされている方たちで、いろいろとコーヒーの質の話を語らせていただいた後に、ずうっとボクの心の中で燻っていた想いを言葉に出して言ってしまいした。

「絶対音感を理解していたとしても、それって質の良い音を理解していることとは違いますよね。」
という 内容の言葉でした。

それを聞いてくださった、その音楽のお仕事もされている人は「そうですよ。絶対音感があるから、質の良い音を表現できるのとはちがいますよね。」と同意をいただけたのです。

ボクは、音の仕事をしている訳ではないので、音に関してのプロの人に「音の質」についてボクの考える持論を肯定して貰えたことがとても嬉しかったのです。
絶対音感というものは、いろんな音が音階として聴き分けることができる能力であって、音が外れているとか、楽譜とおりの音を奏でているということが理解できる能力であって、質の良い音を理解できている能力ではないということをボクは言いたかったのです。

ですので、音楽関係の仕事をするには、絶対音感はあった方がいいとは思いますが、その能力と良質な音を奏でられる能力とは異なる能力であるという「本質」を伺いたかったのです。

それというのも、良質さには「共通点」があるものだとボクは考えているので、ボクは口の中で広がるフレーバーの良質さの理解を学んでいますが、音の良質さや、色の良質さ、それぞれの五感の良質さというものには「共通点」があるものなんだと考えています。

ボクの解釈の中では「良質さ=美しさ」だと考えていて、その「美しさ」は、それぞれの感覚におて「共通点」があるものであると解釈をしています。

ですので、その共通点が見えるようになることで、それぞれの感覚における「美しさ」が理解できてくるものであると考えているわけなのです。

ボクが食のフレーバーの「美しさ」の理解を深めるために、他の絵画や音楽から、その美しさの共通点を探して食のフレーバーにフィードバックしているように、音楽に携わる人たちや、その他の芸術に携わる人たちは、食のフレーバーの「美しさ」から、その共通点を学ぶことで、フィードバックして「本質」という共通点を見出すことができるのではとボクは考えています。

本質というものは、すべてのものに「共通点」が存在し、繋がっている。
それも、本質の考え方のひとつなのだとボクは考えるからです。

言い換えれば、どんなものからでも学ぶ事はできる。
そして、共通する点がある。
このロジックを理解している人は、学び方を知っている。
そして、それを知らない人よりも、早くそれらを身につけることができるものだとボクは考えているのです。
なぜなら、それこそが皆が一番欲しがる能力だからです。

理解するという事は「言葉」もセットで理解が進むということ。
もう何年くらい前になるのだろう?
2〜3年くらい前から、カラオケでうまく歌えるようになれたら「面白いだろうなぁ」と、ふいに思いつき、それからほぼ毎日帰宅時に車の中で熱唱して帰る日々を過ごしています。

最初の頃は、専門用語のヘッドボイスだとか、ミックスボイスだとか、ファルセットだとか、本来のその用語の意味さえ分からなかったので、当然それらを使うことすらできないでいました。

そして、暇な時にwebサイトで無料でボイトレを教えているサイトなどがあり、それを見ながら専門用語や、その特性を理解していきながら、実際に帰宅時の車の中で歌いながら、声の出し方などを試していたりしました。

習い始めの頃というのは、とりあえず高音を出したくて無理して歌うのですが、やっぱり出なくて、ちょっとずつですが偶然出るようになった高音の体の使い方を「あれ?今どうやったっけ?」と体に刻み付けるようにして、ちょっとずつ成長していく過程に面白みを感じながら、続けていました。

でも、やっぱり「無理して出すよりは、自分らしい声質で。」みたいなことを思い、キーを上げないで無理しない音域で歌っている時もありました。

でもでも、やっぱり高音も出したいという思いなどがあり、また高音の楽曲を歌うと、しばらく取り組んでいなかったため、そこで気づきや発見があったりするのです。

そして、今まで気づかなかった「あ、この時にはここに力が入っているんだ。」とか、「喉は閉めながら、こういうふうに力を入れるんだ。」とか、今まで気づかなかった自分の体の使い方などがわかるようになったりすることに気づくようになりました。

そして、理解するという事は「言葉」もセットで理解が進むということです。
「言葉」の持つ意味と、その表現は「対(=イコール)」になっているということです。

ですので、キチンと理解している人というのは、説明ができるものなんだとボクは考えているのです。
あやふやで理解している段階だと、あやふやな言葉使いとなり、曖昧さがあったりするものです。

ですので、ボクも人にキチンと使えるために、言葉の意味までキチンと理解したいと考えているのです。
そのためには、客観視と言いますか、俯瞰して見れるようになることが大事だったりします。

意外とそれができないものなので上達しないのですが、キチンと俯瞰して今の自分が見れる人というのは、自分の不甲斐なさまで見れていますので、ちゃんと一人前になれるように取り組むものなのだと思っています。

あと、勘違いされてしまうと申し訳ないので付け加えておきますが、そんなに歌上手くありませんので・・・。
自己満足のレベルです。笑

「表現力」と「質を読み取る能力」は、まったくの別物。
昨日ブログに書いたことで、また新たに気づいてしまったことがあります。

これは、うすうす気づいていたことなのですが、「表現力」と「質を読み取る能力」は、まったく別物なのだということです。

コーヒーを飲んで、その表現をするために必要な事は、脳にインプットされた「香りの辞書」が必要となります。
その「香りの辞書」に多くの香りがインプットされている場合には、類似している香りを判断することができますので「
「***の香りのような」というコメントができると言うことです。

ですので、脳内に香りを効率良く記憶(インプット)することこそが、表現をするためには必要なことなのです。
その、「効率良く記憶すること」が、ボクがお伝えしている「テイスティングの基礎講座」でお伝えしていることなのですが、そこにはフレーバーの情報を分解して、「粘性」「色の情報」「ボディ感」「酸味」「甘さ」などを分類してインプットをすると言うことをお伝えしています。
それらのほとんどの情報は、「強さ」や「豊さ」の情報なのだということです。

それに対して、「質を読み取る能力」は、「透明感」だとか「粒子の細かさ」だとか、「強さ」という情報ではなくて「情緒的な情報」を読み取り分析をするという能力になります。

ボクも今まで、これをきちんと理解できていなかったために、「表現力」と「質を読み取る能力」をごちゃ混ぜにしてお伝えしておりました。
でも、それだととても難しくなってしまいます。
表現力を磨く場合の、香りのインプットを効率的にする場合と、良質さを感じとるためのトレーニングの手法はまったく異なるのだということなのです。

この違いをキチンと理解できた事は、これから講座を教えていく中で、とっても重要なロジックを理解できたのだと言えることでしょう。

こういった、ひとつひとつの理解をキチンとしていくことで、的確に人に伝えることができるようになります。
このブログの意図も、自分では理解できていない事柄を、書きながら勝手に整理して、気づきに繋がってゆく可能性があるので、これからもこのブログを活用しながら、いろいろと理解の幅を広げていけたらと考えています。

続けることが、とても大事。
以前にも、何回も書いたことなのですが、理解が進むことで捉え方は変わっていくものなので、また書いてみたいと思います。

スペシャルティコーヒーの場合は、評価システムがありSCA方式とCOE方式があります。
当店は、COE方式を採用しているのですが、COE方式ですと評価項目は8つ。
その8つの評価項目をきちんと理解していくことで、いろいろと感覚も向上していくことを理解しています。

その8つは、
・クリーンカップ
*スイートネス
*アシディティ
*マウスフィール(ボディ)
*フレーバー
*アフターテイスト
・バランス
・オーバーオール
です。

そのうちの*印の5つが焙煎の競技会でも採用されているので、焙煎の競技会で上を目指すためにも、この評価項目の理解は必要不可欠な要素となっています。

COEの評価項目の場合は「強さ」で評価するのではなく「質の良さ」で評価しますので、そこがとても難易度が上がります。

たぶんですが、人によって捉え方が違うので、「しっとり」とか「艶やか」といったポジティブな液体の情報をどこの項目で評価するのか?も異なるのだと考えられます。
ですが、たとえ項目が異なっていたとしても、それをポジティブな評価として点数をきちんと付けていれば、トータルのポイントは同じになるので、総合点として評価するのなら問題が無いと言うことです。

しかし、ひとつひとつの項目をきちんと評価していく場合では、それでは困るので「すり合わせ」が必要となるのです。

一般の消費者には、そこまでのレベルは必要ありませんので、とりあえずとしましては、「どういうものが、良質で、どういうものが劣るのか?」が理解できれば、問題無いと言うことです。

個人レベルで出来る、トレーニング方法としましては、コーヒーを召し上がりながら、「各項目ごとにコメントを記入していく」というトレーニング手法を「分からないにしてもやってみる。」ということの積み重ねで、理解が進みます。

この手法は、意識レベルが変わっていきますので、分からなくても続けていくと、徐々に項目ごとの表情が見えるよになってきますので、興味がありましたらやってみてください。

そして、大切な事は「続けること」です。
続けることこそが、一番大切なポイントなのです。

耳を傾けてみる。
ボクが大切だと考えていることに、「耳を傾けてみる」という行動が大切なことだと位置づけている。

「耳を傾ける」と言う内容は、その言葉の通りで、「なになに?」という感じで、耳を傾けて「その話の内容を聞く」という行動を指します。

ボクも含めてなのですが、多くの人たちは、興味の無いことや、自分が理解できないことなどは、「耳を傾けて聞く」ということを意外としないのです。

ですが、少しだけ興味を持ったりすると、意外と耳を傾けて聞いてくれたりするのです。
なので、「耳を傾けてみる」という行動がとれる人は、人の話を聞くことができる人なので、自分に無いものを補うための勉強をすることができる人なのだと考えています。

そして、アンテナを高く張っている人だと、自分の興味のあることに対して、異なる分野のことだったとしても「共通性を見出す」ことができるので、その共通点から自分の興味のある分野を考えることができるようになるとボクは考えています。

そのためにも、まずは「耳を傾けてみる」という行動が大切で、その延長線を想像できる人は、より気づきを得ることができるんじゃないかと考えているのです。

キーワードは、話を聞いて想像してみる。と言うことです。

脳の可塑性とか、シナプスの可塑性を利用しているんじゃないかな。
この言葉を知ったのは、ラジオから聞こえてきた「脳の可塑性」という言葉を聞いたことがきっかけでした。

脳の可塑性は、元々医療の現場で使われる言葉なのですけれど、脳梗塞などで脳の一部が死んでしまったとしても、脳は生きている別の分野の脳を使い、新たに別の回路で無くなってしまった脳の代わりを補う能力があるのだと解明されていて、その無くなってしまった脳の機能を、別の脳の一部が、新たにその代わりを補うように変化していくことを「脳の可塑性」と言うらしいのです。
(*専門ではありませんので、詳しく知りたい場合は調べてみてください。)

これは、もう20年くらい前に飼っていたウチの犬が、交通事故で後ろ足が動かなくなってしまい、獣医さんからは「もう一生治らない」と言われていたのですが、数年後には麻痺は残っていたのですが、よちよちと後ろ足も使い歩くことが出来るようになりました。
これが、脳の可塑性で、シナプスの可塑性とも言われています。

なぜ?こんなことを書いたのかと言うと、脳のスゴイと思えるところは、使い方次第で医学の無理を、可能にすると言うことです。
ウチの犬は、人の言葉が理解できなかったから、獣医さんの「一生治らない」は理解できずに、ずうっと動かない後ろ足に、今までのように「動け」と意識していたに違いありません。
それが、動かない後ろ足を動かせるように働きかけ続けた結果、奇跡が起こったのだと推測します。

要は、「あきらめない」と言う前向きの気持ちが、脳に別の回路を作り出させるのではないのか?と考えるのです。

ボクがある時考えた思考には、今見えていない香りの世界をもっと見えるようになりたいと思う「強い気持ち」に脳が刺激され、何らかの回路を作り出し、より繊細な香りの情報が理解できるようになるのではないかと考えるようになったのです。
それが、ボクの考える「脳の可塑性」と言う意味で、それは「あきらめない」と言う強い気持ちから来ているのではないかと言うことです。

そして、それを可能にさせるためには、その目標とする「世界観の存在を認知すること」で、それを「あきらめない」ということです。

ボクの場合は、ボクが見えていない「香りの存在を認知できたこと」がきっかけで、それを感じ取れるようになりたいと強く思いながら日常生活を送ることから始まりました。

そして、たぶん嗅覚には秘めた能力があるものだと思っていて、五感の中で唯一脳とダイレクトに繋がっている器官は「嗅覚」だけなのです。
その嗅覚を育成していくことで、他の感覚も相乗的に感覚の感度が向上していく事は、ボクも経験することで理解をしているので、偶然だとはいえ、コーヒーのフレーバーの理解のためにする「嗅覚の育成」が、その他の五感にも何らかの作用を働かせるようになるのだとボクは考えています。

ただし、ボクも経験しているように、嗅覚の成長には時間がかかります。
でも、あきらめないで毎日の日常生活の中にトレーニングを組み込むことで、必ず嗅覚はゆっくりと成長をして行きますので、あきらめないで香りのインプットや、香りの存在を意識して生活をしていくことが大切です。

それを続けていくことで、数年後には、ボクの言っていることが少しずつ理解できるようになることだと思います。

「なりたい。」をイメージする。
ボクはイトイさんが運営している「ほぼ日刊イトイ新聞」というサイトをよく拝見している。

イトイさんがそのサイトを立ち上げたのは50歳の時だったという話を聞いたことがある。
今のボクと同じ年に、新たにその会社を立ち上げたのです。

それを考えると、何かを始めるときに年齢というものは関係がないことなんだとインプットする必要があると思ったのです。

この年だから恥ずかしいとか、この年だから先のことを考えるとだとか、それは何かを始める場合の「諦め」に加担するための言い訳であって、願望ではないということなのだと。

イトイさんがある時、「なりたい」を書いたことがあった。
そうなりたい。と言う「なりたい」には「たくさんの気持ちと可能性が入っている。」と言っていた。

ボクもその通りで、「なりたい」っていい言葉だなぁと思った。
だから、ボクもそうだけれど、皆が真剣に「なりたい」を考えれば、とてもポジティブな世の中になるような気がした。

ボクも、ボクが思い描く「なりたい」をより鮮明に思い描けれるようにイメージしたいと思います。
それに向かって「なりたい」が、実現できるように。

真似る。ということについて。
何に対しても、この「真似る」はとても有効的なことなのだと考えられます。
味を真似るために、素材やレシピを真似たり、有名なファッションリーダーのコーディネートを真似たりもする。
真似ることがやはり近道で、それをすることでの気づきもあるのだろうと思う。

誰かが革新的なことを発見すると、それを真似る人が続出し、世の中にその類似品が多く登場するようになる。
そして、その革新的であったものは、真似られることで、その時代を作り出すことになる。

「真似る」から得られるものは、とても大きなものなのだと思える。

なので、とりあえずは「真似る」から始めた方が、成長が早いのだと考えています。
ただし、これは「目指すモノや人」がいてはじめて「真似る」ことができるので、もっと上に行きたいと考えた場合には、「真似る」ことでは物足りなさを感じるようになり、革新的なものを作り出すためには「真似る」では限界があることに気づくようになることでしょう。

ある程度までは、「真似る」ことでいろんなことを吸収し勉強になるのですが、あるレベルになってからは「オリジナル」という独自性が必要となることを知るのです。

そこからが、新たな境地で、失敗を繰り返さなければ、たどり着けない場所であるのだと考えています。
当店の場合は、周りに影響されないように、10年ほど閉じこもっていた時期もあるくらいです。
浦島太郎状態にはなりますが、周りから影響を受けないので、ガラパゴス化し、独自の考え方や論理が根付きます。
ただ、そこまで我慢できるかどうかが問題なだけで、そこを確立するようになるには、やはり10年という年月は必要になるのかもしれません。
結果そうだったと言うだけで、もっと短い年月で確立する人もいるのだとは思いますが、それでも数年はかかってしまうのだと思っています。

慣れが怖い。
今、お店はインターネット環境が無くなってしまっている。
来週には新しい回線が繋がるのですが、今現在のところスマホをテザリングしてネットに繋いで仕事をしていたりするのですが、知らないうちに結構な容量を使ってしまっていたりするので、できるだけオフラインで仕事をするように心がけています。

これは、慣れてしまったために「有り難みに気づかない」ってことに似ています。
時代が進歩したことで、とても便利な時代になりましたが、そこに慣れてしまったために、その有り難みに対して「当たり前」だと思う感覚になってしまったと言うことです。

それが「慣れ」と言うことです。
慣れは、それがとても凄いことだとしても、それが普通になってしまう。

でもこれはとても難しいことで、当たり前を当たり前だと思わないでいると言う事は、実はとても難しいのです。
そのためにボクも感受性を高め、良質なモノに対して、当たり前だと思わないように日々トレーニングをしているような気がしています。

いつまで経っても、やっぱり良質なモノに対して感動できるような、そんな感覚を持っていたいと思うのです。

良質なものには、その「背景」とか「プロセス」とかがあるもの。
今週の日〜月曜日で浜松の街中でイベントに参加してきました。

とあるおばちゃんが、当店のテイクアウト・ドリンクコーヒーの値段を見て「コーヒー1杯で、この値段なの?」と、ちょっとびっくりしている表情でそう訴えかけてきました。
当然、その値段なので、そのおばちゃんは購入する事はありませんでした。

無理もありません。
今の時代、コンビニでも100円程度で、レギュラーコーヒーがテイクアウトできてしまう時代です。

当店のような、良質なスペシャルティコーヒーだとしても1杯が450円もしてしまうのは、そのおばちゃんからしたら「とても高いコーヒー」で、理解し難い値段だったのだと考えられます。

その背景には、もちろん良質なコーヒー豆を使っていたとしても高く考えられるのでしょう。
だからこそ、イベントだといえキチンとしたドリンク・コーヒーに仕上げなければならないと香茶屋では考えています。

使用するお水の選択、コーヒーミルもお店と同じものを使用し、抽出時には温度計にてお湯の温度も計っていますし、フィルターもポリエステル・フィルターを使用し、お店の味のレベルをイベントでも落とさないように取り組んでいます。

そうした取り組みをボクの抽出している姿を見て「読み取れる」人もいれば、「コーヒーにその値段?」といぶかしげに思う人もいる。

ボクは年々、良質なスペシャルティコーヒーを提供することができている自負があります。
もちろんそれは、それを作ってくれている「農家さん」が居てくれてはじめて成り立つ商売なのです。

良質なコーヒー豆を育ててくれている、そのコーヒー豆を消費者にその美味しさをキチンと届けてはじめて成り立つ商売です。
良質なモノを作ることで、農家さんも高い収入が得られる。
その構図を作り出すためにも、キチンとした良質なコーヒーの液体に仕上げなければなりません。
そして、適性な値段で販売することが求められるものだと考えています。

良質な商品には、キチンとしたプロセスが背景にあるものです。
それがあってはじめて「液体のコーヒーが素晴らしい味わいとなる」のです。
そこを理解してもらうためにも、これからも「背景」とか「プロセス」までも伝えていきたいと考えていきたいと思っています。



 


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