読み取るという力(ちから)。
先日webサイトの「ほぼ日刊イトイ新聞」の中の、とある対談から「なるほど」と思ったことがあった。
それは、イトイさんと書家の石川九楊さんとの対談からだった。

その対談は、イトイさんが「おちつけ」グッズを販売しようと企画し、その「おちつけ」のひらがな4文字を誰に書いてもらおうかと考えて、書家の石川九楊先生に以来したことがきっかけで、そこからの対談でした。

対談は「おちつけ」という言葉をどうしてグッズにして販売しようとしたのか?そして、その石川九楊さんが「おちつけ」という言葉をどう解釈して、その書にしたのか?という内容でした。

話はそのまま「書の本質」に及びます。
すると、書は「読む力」が大事で、書は「触覚の芸術」だと言っているのです。

ボクら素人な見かただと「視覚の芸術」なのだという認識ですが、書を追求している人にとっては「触覚の芸術」なのだということです。

そこには「読む力」が必要不可欠で、その書をどうやって書いているかの手触りを自分で感受しながら、「どんな感触を書こうとしているのか?」「どのような筆の感触を感じながら書いているのか?」それらを感受できれることが書は大切なのだということを語っておりました。

これは、コーヒーの「質を見る」というところと共通点が多く、それが「読む力」と言われておりました。
テイスティング能力の最たる能力は、その「読み取る」という能力なのだと思っています。

テイスティングの最たる能力はコーヒーを飲んで、「この作り手は、どういった表現をしたいがために、どういった仕入れをし、このコーヒーをどう焙煎しているのか?」を、口内に広がるフレーバーから「読み取る」という能力なのだと考えています。

それが理解できるようになることで、いろんな背景が見れるようになるということです。
それに伴い、「質の良さという美味しさ」が徐々に見れるようになっていき、いろんな理解が進むことなのだと考えているのです。

比較することからの学び。
ご存知のとおり現在、高級ベルギー・チョコレートで学んでいます。
その場合に、気づきやすいチョコレートのタイプは「ガナッシュ・タイプ」と「キャラメル・タイプ」だと考えています。

チョコレートが好きな方はその他に「プラリネ・タイプ」と「ホワイトチョコ・タイプ」があることを知っていると思いますが、「質を見る」という学びから考えると「シルキーさ」と、その余韻の「アフターテイスト」を分析する場合は、「ガナッシュ」と「キャラメル」を選んだほうが見えやすいと考えています。

そして、「比べる」という2種類の同じタイプのもので比べることで理解できる学びがあるのだと考えています。
個人的には「ガナッシュ」が好きなので、できることならば、ガナッシュ・タイプで作り手が異なるお店のものを2種類以上使い、しかも産地が同じもので食べ比べをすることで、いろんなことが見えてくることだと考えています。

1種類ずつ食べるよりも、2種類以上のもので比較をすることで、いろんなことが理解できてくるのです。
ボクのしている仕事の「焙煎」も、同じ豆で「異なる焙煎データのコーヒーを飲み比べる」ということをしてみることで、「比較すること」の「気づき」があるということを知っています。

そうすることでより分析力が活きてきますし、「質」の理解が深まってきます。
このときに大事なのが、「好み」を見るのではなく、「どちらが良いのか?」または「どういうところが良いのか?」というポイントです。

「質を理解」するためには「好み」が足を引っ張りますので、「好み」をいかに傍らに置いておくことが出来るかどうかが、大切になってくることに気がつくことでしょう。

ベルギーのチョコレートからの学び。
今年もバレンタインの催事で主にベルギーのチョコレートをいくつか購入した。
ベルギーのチョコレートは、伝統と格式がありますので、ベルギーチョコの共通点を探してみて、そこが美味しく感じた場合には、高い買い物になりますが、ベルギーチョコレートからの学びが楽しめることでしょう。

個人的にはガナッシュが好きで、高級なチョコレートでの学びは「シルキーさ」という滑らかさの質だと言えると考えています。

浜松という田舎だと、1年に一度の高級チョコレートの楽しみなので、1年間の感覚の成長を実感するのにも役に立ちます。
この1年で、より「余韻」が見えるようになってきた感があり、余韻が見えるからこその「透明感」があることも理解できてきました。

高級チョコレートの学びは、チョコレートの「キメの細かな滑らかさ」と、乳製品の「キメの細かな滑らかさ」の2つから成り立っていることが理解できます。

そして、そっくりそのままそれが「余韻」にも現れますので、フランスやベルギーの高級チョコレートだと、「乳製品」の余韻の素晴らしさにうっとりします。

日本の場合だと、チョコレートは技術的に作れても、乳製品は生産者から買わなければならないので、なかなかフランスやベルギーなどで使われているレベルのものと比べてしまうと劣ってしまう印象を受けてしまいます。
日本では「グラスフェッド」と「パスチャライズ」という生産が少ないことも背景にありますが、もしかしたらエサとしての草を作るための土壌の成分とかも関係があるのかもしれません。

このチョコレートからの「キメの細かな滑らかさ」という「シルキー(絹のような)」という感覚と、滑らかさの余韻の推移で、良質な滑らかさと余韻の部分の理解が進むことと考えています。

その他にも、「フレーバーの層」の理解や、「酸味」の理解など、より繊細な部分が見えることで、チョコレートからの学びも多いですが、以外と繊細ですので、まずは「どこまで見えているのか」を確認する学びにも役立つことでしょう。

本質の学びが大切。
昨年から、お店の外での講座も積極的におこなうようになり、「テイスティングの基礎講座」や「スペシャルティコーヒー対応の淹れ方講座」などをおこなうようになりました。

昨日も定休日でしたが、講座をおこなっており、そういった講座を介して気がついたことがあります。
それは、先日もブログで書きましたが「見えている人」と「見えていない人」の存在があるということ。
そして、「見えている人」の中でも「どこまでが許容範囲の美味しさとして感じているのか?」というところです。

まずは「見えている」ほうが、より繊細な部分の表現まで感じ取れていますので、「見えている」ほうが好ましいという情報になります。
ボク自身は、嗅覚のレベルがそれほど敏感ではないタイプですので、「見えていないタイプ」に属すると自分では分析をしています。
ですので、トレーニングによって「より繊細な香りの情報」が「見えるようになりたい」と考えているタイプです。

人によっては、生まれつき嗅覚が人より敏感な方がいらっしゃいますので、そのような人は、一般的な人よりは「見えている」と言えると考えています。

しかし、一般的な人よりも、繊細な部分が「見えている」場合でも、その情報を受け取って「それが質が良いのか?」それとも「質が劣るのか?」まで見えている人は、とても少ないということなのです。

そこが「学び」だと言えるのだということが、ここ1年の講座でいろんな人を見ていて気がついたことなのです。
ある程度、「見えるようになってきてから」が、本来の学びで、そこから先は「本質の学び」なのだと言えると思います。

ですので、まずはある程度の繊細な情報が「見えるようになる」というトレーニングが大切で、それらの情報が見えるようになってきてからが、「本質の学び」だということです。

ボクを含めた一般的な感覚の人びと(99.9%程度だと考えています)は、まずはより繊細な情報をキャッチできるようになるためのトレーニングが必要だと考えており、それをおこないつつも「質の良し悪し」の意識を持ちながら飲食をしてゆくうちに、その両者の感覚が育ってくるものだと考えています。

とりわけ難しいのが「質の見極め」だと考えており、そのためには嗅覚の成長にともない「香りの元をたどる能力の覚醒」が必要であると分析をしています。

どこまで求めるのか?は、人それぞれの判断ですが、ある程度「良質さ」が見えるようになると「感じ方」や「考え方」に変化が出てくるようになり、それが「幸せ」の基準とも繋がっているとボクは思っていますので、自分を成長させたいとお考えの方には、「コーヒー・テイスティング」の学びも面白いものであると思っています。

実のところコーヒー以外のなにで学ばれても、最終的な「本質の学び」は繋がっているとボクは考えておりますので、「本質」まで学ばれることをオススメしたいと思っていますが、コーヒーに携わる者としましては、比較的コーヒーは教材に使用する価格が安いのが魅力のひとつだと言えると思っていますので、興味がございましたら講座を受講してみてください。

「作り手の想い」を感じ取る。
食の美味しさのひとつに、「作り手の想い」という美味しさの楽しみ方があります。

口の中に広がる風味から、「この作り手は、こういうところを大切にしているんだなぁ」という情報を読み取るという美味しさです。

そういった作り手の想いを、作られた商品を口に含んだその風味から読み取るという能力が、「テイスティングの核心なのでは?」と思うようになりました。

どんなことを想い、どういったところに気を配り仕入れをし、どういった想いをもって、商品にしているのか?というところは、実際は説明を受けなくても商品の風味から読み取れるものなのです。

そういった美味しさの楽しみ方ができるようになると、「作り手のスゴさ」が見えるようになってくるものであると考えています。

いろんなところまで、気を配り、考え抜かれた商品というものは、それほど多くは存在しておりませんし、その背景には感覚が敏感な作り手でないと、より繊細な味作りは施せませんので、そういった作り手はなかなか存在していないということに気がつくことだと思います。
それが、ボクの言う「作り手のスゴさ」という情報です。

ボクも、そういった作り手になりたいと思っているので、感覚を日頃から磨いているというわけです。
ですが、なかなか成長していかないのが感覚の感度なのだということです。
なので、年月がかかり、経験が増えるごとにいろんな理解が進んでいくので、お客さまに育てられながらお互いに成長してゆけたらと当店は考えているのです。

「見えてくる」感覚が、嗅覚の成長。
よくウチの相方が、「主張をしなくなる」と言っていたことが耳に残っている。

なぜ?主張をしなくなるのか?
それは、繊細な香りが見えている人が「この***の香りがいいよね」とか、「この***の香りが臭い」と言ったところで、ほとんどの人はその香りの元が見えないので「なにを言っているのか、すら理解されない」からなのです。

言っている意味が分かってもらえないので、無視されるか、または「わかんない」で終わってしまうため、話の内容からして「この人たちでは、わかってもらえないな」と思った場合には、「あえて主張しない」という選択肢を取るようになるのです。

ですので、一般の人よりもかなり嗅覚が敏感な人ほど、「主張をしない」という波風を立たせない世渡りの術を持っているので、嗅覚が敏感な人ほど周囲に溶け込んでいて、主張をしないので見つけるのが困難だったりします。

ですが、同じレベルの人を見つけることができる能力でもあるので、「この人は見えている」という人を見つけた場合、同じ情景を感じることができるので、普段主張をしないで抑えている分、堰を切ったように話に花が咲いたりするものなのです。

そして、ボクも今年に入り、なんとなくですが、そういうことが理解できるようになってきてしまいました。
要は、人によって説明の仕方を変える必要性があるということです。

その人が、どこまで見えているのかは、コーヒーを召し上がっている飲み方や表情、そのコメントから推測するしか方法はないので、そういった「しぐさ」や「コメント」から、どういう情報を伝えたほうが良いかを判断し、話す内容を人によって変えるようになりました。

この「見えている」、「見えていない」は、カッピングがきちんとできる業者さんも言っていたので、ある程度の感覚を育成している人たちには「見えている情報」なのだということです。

嗅覚が敏感になり、いろんな香りの情報が「見えている人」は、そういった人の感覚の感度とかも「見えている」。
不思議なのですが、嗅覚ってとても奥が深く、いろんなものが見えるようになる感覚なのだなぁと感心してしまいます。

チョコレートからの学び。
年に一度のバレンタインのための、チョコレートの催事がここ浜松市に1つしかない百貨店でも開かれます。

当店の常連さまでしたらご存知なのですが、ボクはコーヒーで勉強するというよりは、食材全般で勉強するタイプですので、数年前から「良質なチョコレート」からの学びから得られるものがあるので、年に一度のこのタイミングを大切にしています。

ですので、今週の定休日の月曜日に、早速その百貨店の催事に足を運び、いろいろと試食をさせていただき、気になるチョコレートを買ってきました。

チョコレートの場合でも大切なポイントは、「滑らかさの質」と「その余韻」、そして個性ある「フレーバーの推移」だと考えています。

チョコレートの場合は、その滑らかさを登場させるために「機械」にてチョコレートの粒子をキメ細かな状態にするということをしているお店もチラホラと登場してきているみたいです。
日本でいう、抹茶を作る際の臼で微粉にするというようなことなのだと思います。

そして、もうひとつの要因は「乳製品」です。
チョコレートは乳製品と合わせて作られますので、その乳製品の「質」が、「滑らかさ」と「その余韻」に登場しますので、チョコレートだけではなく、合わせる乳製品の「質」も見極めが大切です。

コーヒーの場合には、素材の持つ「滑らかさ」と、更に焙煎作業により「その素材を活かす」という滑らかさがありますので、「滑らかさの質」の良し悪しをキチンと理解しておくことはとても大切です。

そして、その「滑らかさ」に大きく関わってくるのが「ボディ感」です。
キメの細かな「シルキー(絹のような)」な滑らかさと、どうやら「ボディ」の厚さを比例させるのが難しいということです。

「クリーン」で「シルキー」でありながら、「芳醇さ」や「ボディ感」を出すということが相反することなのだと、改めて思いました。
これは、コーヒーの焙煎でも同じことで、その相反する美味しさを登場させたいと思うのがモノづくりの職人なのだと思っています。

そこに近づけるように、いろんな食材から「良質さ」を感じ取り学んでいきたいと考えています。

意識することで、見えるようになる。
同級生からお祝いのケーキをいただいたのが3ヶ月前くらい。

そのケーキがきっかけで、当店で使用している「たまご」が気になり始め、お店で使用する「たまご」の見直しをすることになった。
そして、「たまご」の質を意識するようになると、次は牛乳や生クリームの「質」が気になるようになってきた。

このブログでも何回も書いているので、すでにご存知かとは思いますが、「余韻」に質は現れやすいと書いている。
そして、「たまご」や「乳製品」の余韻をより意識するようになったことで、「余韻」をより理解できるようになってきた。

たぶんコーヒーだけの学びだったとしたなら、きっとこの「余韻の質」の理解はもっと遅かっただろうなぁと考えている。
そして、その「余韻の質」を見るレベルが上がったことで、ウチの相方とか、常連さんの中でもとりわけ嗅覚が敏感だと思えるお客さんの見ている「余韻」に近づけた感がある。

嗅覚が敏感な人は、「こういった景色を見ていたんだなぁ」と、今まで見えていなかった景色を改めて見えるようになったことでの「気づき」がことさら大きいと感じている。

ただ、ほとんどの人たちは、今までのボクのように「そこの景色」は見えていないので、美味しさは「そこ」じゃないと言うのだと思う。

そう。美味しさは「そこだけではない」ということが大事。
なので、その余韻の感じ方を残しつつも、その他の美味しさとを両立させることが大切なのだと感じています。

そして、今まで見えていなかったボクが見えるようになったことで、説明ができるのが強みだと考えていますので、ボクが見えるようになったポイントを、テイスティングの講座で伝えていきたいと考えています。

学びは、環境が大事かも。
液体の「質」を見るポイントが、以前のこのブログを見直すと「明るさ」と「丸さ」で理解できると語っているのですが、最新のバージョンではちょっと違ってきている。

では、最新の「質」を見るポイントはどこか?
それは、「酸味(味覚)」と「滑らかさ」と「余韻」の3つのポイントなんだと考えています。

「明るさ」は味覚の酸味の要素とフレーバーが絡んでくる感覚で、「丸さ」は滑らかさの質の部分ではありますが、滑らかさの質の部分は他にもあるので「滑らかさ」全般を見たほうがよいと思います。
そして、「余韻」がとても大事だという理解が育ってきました。

きちんと余韻が見れるようになると、余韻のフレーバーに「質」は現れやすいということが理解できることでしょう。
ですので、余韻のフレーバーの質が解ってくると、余韻のかなり時間が経ってからが大事なんだということが理解できることでしょう。

「たまご」や「牛乳」、そして「お肉」などは、余韻に「エサ由来の風味」が登場してきます。
その「エサ由来の風味」が「ポジティブなのか?」それとも「ネガティブなのか?」、そこが「質」の良し悪しということなのだと考えています。

そこにはエサ由来である「植物系」や「穀物系」のフレーバーが登場してきているということです。
それが理解できると、コーヒーのフレーバーの中の「植物系」や「穀物系」のフレーバーが理解できるようになってくるという訳です。

コーヒーのテイスティングで、テイスティング・スプーンを使用する場合は、コーヒーの液体をテイスティング・スプーンで口に含み、まんべんなく口内にコーヒーの液体を付着させてから、コーヒーを吐き出します。
そして、吐き出した後の「残り香」で、素材の良し悪しを判断しますので、コーヒーテイスティングを、テイスティング・スプーンを使って学ばれている人は、「余韻」を見れるようになってくるということです。

ですので、コーヒーカップで「飲む」場合だと、「余韻」を見る場合には意識をしなくてはいけませんので、テイスティング・スプーンを使った勉強のほうが、より「質」を探そうとする環境があるのだと言えると思います。

このように、学ぶ環境で理解力に差が生じてきますので、学ぶ環境は大事なのだということです。

自分の意見を述べたほうが学びがある。
今週の定休日にテイスティングの基礎講座をおこなったときのお話です。

講座の内容は、用意した資料の説明を30分、皆で同じ食材を口にしながら「どういった印象を受けるのか」の説明を30分、そして用意したコーヒーのテイスティング4種類のカッピングを30分という感じで講座をしています。

そして、コーヒーて4種類のテイスティングですが、当店で取り扱うレベル(スペシャルティコーヒー:80点以上)のコーヒーを2種類と、当店では取り扱えないレベル(スペシャルティコーヒーと認定できないレベル80点未満)を2種類で、計4種類のコーヒーを、粉の香り(アロマ)からチェックをし、そしてお湯を張って液体としてもチェックをするという形でカッピングをしました。

そして面白いのは、ボクが「どれが1番良くて、どれが1番劣るかを教えてください。」という問いに、
「ボクはこれが良くないと思う。」
「私は、これが良くて、これが良くないと思う。」
と、賛否両論な意見が登場してくれたことが、とても講座としては良かった。

その際に、「どこが良くないと思います?」や、「どこが、良いポイントですか?」という質問にも、いろいろと答えてくださりました。

そして、正解を伝えると当然ハズレた人と正解の人が登場するわけで、ここでの学びは昔のボクもそうだったのですが、ハズレた人のほうが「悔しさ」が残るので、「質の良さはどこを見るんだ?」と考えていただきたかったのです。

その場合に、考えていただきたい点は、「良いと思ったところは、本当に良いのか?」または、「劣っていると思った点は、本当に劣っているのか?」というところなのです。

ほとんど、「質」を意識したことの無い人は、好みで「良いところ」と「劣るところ」を判断していますので、自分ではそこを評価していても、きちんと勉強している人の判断とはちがったりするということに気がついて貰いたいのです。

そういった矛盾からの学びからしか「気づき」はなく、せっかく「ハズレ」だと悔しい思いをしたので、そこから学んでいただきたいと思っています。

なかなかこういったように複数の人のなかで、同じものを食して、その良し悪しを判断されることは人生の中でもなかなか体験することはできませんので、そういった体験から学ばれるといろいろと成長できるものなのだと考えているのです。



 


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