クリーンカップの基準を知る。
昨日は、お店をお休みさせていただいて、名古屋の業者さんのところへ、コーヒーテイスティングの勉強のために足を運んできました。

本来は、午後からの集まりでしたが、特別に午前中からマンツーマンで指導をしてもらいました。
当店は、「スペシャルティコーヒー専門店」ですので、すべてが「スペシャルティコーヒー」しか販売をしていないお店なので、そこから外れた豆を取り扱うことが無いため、一般的に業界で呼ばれている「コマーシャルコーヒー」だとか「コモディティコーヒー」「プレミアムコーヒー」と呼ばれるレベルのカッピングもあまりする機会がありません。

そこで、きちんと品質を理解するために昨日は、一般流通しているレベルの「コモディティ・レベル」「プレミアム・レベル」「スペシャルティ・レベル」の3つのレベルのコーヒーのテイスティングを学ばせていただきました。

そこから、感じ取らなくてはならないクオリティは「クリーンカップ」ということです。
しかし、以外とその「クリーンカップ」の基準が出来ていないのが現実なのです。

ですので、午前中はそれらの「レベルのちがい」による「クリーンカップ」の感じ方の基準を学ばせていただきました。

そこで使ったコーヒー豆も持ち帰ってきましたので、しばらくは基礎講座でも、その3つのコーヒーのカッピングも学びのために使っていきたいと考えているところです。

きちんとした基準ができてこそ、初めて良質さの素晴らしさに気がつくと考えていますので、まずは「質の劣る」という基準もきちんと理解することが大切なのだと思います。

良質な美味しさには、意味がある。
昨日の寝落ちしたときに観たテレビ番組は、NHKの鶴瓶の家族に乾杯の再放送でした。
広島の三次市で「完全放牧酪農」を営んでいるお宅に、ゲストの常盤貴子さんがお邪魔をしたことが放映されておりました。

常盤さんは、ドラマで「完全放牧酪農」をする酪農家の役をしたことがきっかけで、「完全酪農」に興味があったらしく、広島県三次市で人づてに、美味しいチーズを作っているという「完全放牧酪農」をしている人の宅にお邪魔していました。

そしてその番組内で、その酪農をしている人の言葉が、
「自然の中で放牧して、牛が食べたい草を食べさせているのですが、そうすると牛乳の量は一般的な穀物を与えて搾乳する量と比べると1/3程度しか絞れないんですが、量が少なくなるけれど牛乳は濃度があって美味しくなるんです。」
というようなことを話されておりました。

これを聞いて、理解しました。
なんで「完全放牧酪農」が普及しないのかがです。

美味しいのはわかっていても、牛乳の量が少ないので、収入が少なくなるということです。
そして、以前から聴いてはおりました「グラスフェッド」という言葉をです。
グラス=牧草・フェッド=食物(えさ)が、完全放牧酪農のスタイルということです。

牛乳を搾乳して売っているだけの酪農家では、たぶん生計が立たないのだと考えられます。
自社で搾乳した牛乳を加工して、それを販売して初めて成り立つ運営なのだと推測できます。
ですから、牛乳だけの販売では完全放牧酪農は成り立たないのだとボクは思ったのです。

そして、やはり美味しさは「自然のまま」にあるということです。
昔ながらの、放牧をして牛が勝手きままに好きな草を食べて、それを搾った牛乳は、穀物などのエサを与えた牛乳と比べると臭みが無く、成分の濃縮されて美味しいということです。
品質は、人によって左右されてしまうのですね。
それが与えるエサ(環境)の違いで、品質は左右するということです。

これが、品質の原理原則なのではないのか?ということなんだと思ったのです。
品質を向上させるのも「人」ですが、品質を落とすのも「人」。
自分はどうしたいのか?
どう生きたいのか?
それを決めるのも人なのだということです。

ボクが決めた道は、まずは「そのちがいが判るようになりたい。」でした。
そこが判れば、理由が判るからです。
そして、それがわかるようになってくると、本当の素晴らしさが見えてくるんです。

「卵」えらび。
モノづくりの人間の悪いところは、良いモノを知ってしまうと、それを使いたくなってしまうことなんだと思う。

同級生からお祝いでケーキを頂いたことで、そのケーキから気付いてしまったことがあった。
それが「卵」の質についてなのです。

それからというもの、今使っている「卵」の質が気になって仕方がありません。
そこで、お店のケーキもお気に入りのお客さまも多いので、しばらくいろんな「卵」を取り寄せて使ってみて、納得のゆく「卵」に出会えるまで、「卵選び」をしてみようかと思い立ちました。

しかし、仕入れ値が高すぎるものは、使えないと思うので、まぁ1個100円以上するものは無理のような気がしますので、それ以下の値段で取り扱えるものの中で選んでいこうと考えています。

それまでは、季節のケーキ1種類しか作る気がしないので、申し訳ありませんが1種類しかケーキがありません。
すみませんがご了承ください。

もし、気に入る卵が見つかったら、納得のゆくスコーンを作ろうかと考えています。
シンプルな方が、素材の良さが見えますので、お楽しみに。

粒子の細かさは、ものごとの本質なのだと考えられる。
昨晩に「ブラタモリ」の「#117・有田焼、世界へ」という番組の再放送をやっていた。

そのテレビ番組では、有田焼が世界に飛躍するきっかけを作った「柿右衛門様式」という焼き上げた後に器に色を付ける技法を編み出し、その有田焼の「柿右衛門様式」で一番特徴的な色が「赤絵」と呼ばれる「赤色」の絵の具なのだそうです。

しかし、その「赤色」の絵の具の中でも一番最上級品の「花赤」と呼ばれる赤色の絵の具のつくり方が、10年という歳月がかかるのだそうです。
それは、絵の具の原料の赤を、水に浸しておき、毎日新鮮なお水と交換することで、酸化を促し、絵の具の粒子を「ナノレベル(10億分の1)」まで細かくすることで、グラデーションや厚みの濃淡を描くことが可能になるのだそうです。

その解説を聞きながら、コーヒーの質も同じなんだということに納得をしました。
コーヒーの液体の良質さも、「粒子の細かさ」なのです。
粒子が細かくなるからこそ、「透明感」が際立ち、そして「滑らかさ」も際立つのだと想像ができます。
そして、それは「余韻」へと推移していくのです。

そしてそれは、コーヒー豆の素材が持つ「粒子の細かさ」と、焙煎によって導き出される「粒子の細かさ」の2つが挙げられるとボクは思っています。
もちろん、前者である素材の持つ「粒子の細かさ」がなければ、焙煎によっても導き出すことは不可能ですので、素材の良さ=「仕入れ」の目利きが必要となるのです。

そして、「粒子の細かさ」は、液体自体の滑らかさの「粒子の細かさ」と、アロマやフレーバーで得られる「香りの粒子の細かさ」の2つの要素が大事になってきます。

ですので、感覚としてコーヒーの粒子の細かな美味しさをキャッチするためには、「味覚や触覚」でのコーヒーの液体の粒子の細かな滑らかさと、「嗅覚」を使っての口の中で感じる「香りの粒子の細かさ」を感じ取れなければならないということだと考えているのです。

そのためには、液体の粒子の細かな滑らかさを感じ取る「触覚」での情報と、粒子の細かな香りの情報を「嗅覚」にて意識し認識できるようになることが重要なのだと考えています。

余韻。
昨晩、寝ようと思ったのですが、いつもの癖でテレビをザッピングすると、Eテレで坂本龍一の5年間に渡る密着取材のドキュメンタリー番組を放映していた。

途中からだったのですが、坂本龍一さんの「音」に対する姿勢を見ていると、どうやら「余韻の美しさ」を見ているように思えたのです。

最近ボクがスゴいなと感動したケーキも「余韻」でしたし、坂本龍一さんの「音」の響きも「余韻」だと感じたのです。
そこから、導きだされる答えは、美しさは「余韻」に現れ易いということなのだということがわかります。

そして、たぶんですが「美しさは自然の中にある。」ということです。

食の美しさの原点も、たぶん「自然の中」にあるということです。

なので、これからボクが感じていかなければならない点も、自然の中にあるということです。

それらの意味が理解できたとき、さらに進化した「余韻=美しさ」という美味しさの味づくりが出来るようになるんじゃないかな。なんて、思ったのです。

一流の人たちは、そこを見て「美しさ」を感じていることは間違いないのです。
なので、ボクもさらなる上を見た場合に、そこの表現をしていきたいと思い立ったのです。

テイスティングの能力の真意。
昨日、パティシエの仕事をしていた小中学校時代の同級生が、今回の焙煎の競技会で3位入賞したことで、お祝いで「ケーキ」を持ってきてくれた。
その同級生の話では、「ここのケーキ」が一番好きだからと、わざわざ朝4時に起きて、兵庫県の三田まで車を走らせてくれたそうです。
そして、私はこのシンプルな「ロールケーキ」が好きだからと言って手渡してくれたのです。

夕方になって、配達のためにうちの相方がお店に来たので、一緒にそのケーキを食べることにしました。
カットしてお皿に乗せるときにも、生地のふわふわ感に気づきます。

そして、口に含むと、素材の良さに驚きます。
まず、うちもケーキを作るのでわかりますが、卵の臭みの無いことにうっとりします。
臭みは余韻を悪くさせるので、それがないことで余韻の素晴らしさがキレイに見えるようになります。
そこには、乳製品の質の良さ、バニラの質の良さ、生地の焼き加減のクオリティの高さ、すべてが一流であることが理解できます。

ケーキの難しいところに、ひとつの素材だけ良いものを使ってもダメだということを知っています。
良い素材を使うのならば、すべての素材を良質なものを使わなければ、伝わらないからです。

そして、すべて良質な素材を使うと見えてくるのが、「人」の技術力であったり作り手のバランス感です。
それらすべてが揃って、初めて一流のケーキが作り出されるのだとボクは思うのです。

口の中に広がる風味(フレーバー)から、それらを読み取る能力がテイスティングの能力ですので、「ボクもここまで見えるようになったんだなぁ」と、そのケーキの素晴らしさと作り手の凄さを感じながら食べていたのですが、きっと同級生も「このケーキの素晴らしさに気がついて貰えるだろう」と考えて、往復7時間もかかる距離を車を走らせてくれたんだなぁと思うと、その想いが伝わります。

本来、テイスティングの能力とは、口の中で広がる風味から、こういった人の想いまでも汲み取れる能力なのだと改めて思いました。

普通を知っているからこそ、気がつける。
最近、思うようになったのは「普段の食生活でのインプットが大事」だということです。
要は、「一般レベル」のインプットをどれだけ出来ているのかが大切だということに気がつきました。

それが気がついたのも、1ヶ月くらい前に書いたと思うのですが、常連さまから頂いた「完熟の黒コショウ」がきっかけでした。
そのときには、自宅で使っていたコショウのミルに以前の黒コショウがまだ入っていたので、それを使い切ってから頂いた黒コショウを使おうと考えておりました。

以前のSBの黒コショウが無くなったので、常連さまから頂いた黒コショウをウチの相方がサラダに振りかけてくれ、それを食べたときに、気がついたのです。

その頂いた黒コショウは、一般の黒コショウとは異なり口の中で、「縦への広がりは薄いのに、横方向へすごく広がる」のです。
そのときに気がついたのは、意識していなかったのですが、一般的にスーパーなどでも売られているSBの黒コショウは「縦方向への広がり」なんだということです。

そのインプットが出来ていたので、頂いた完熟の黒コショウの「横方向への広がり」に気がついたのです。
それが、一般的な黒コショウの特徴をインプットできていなかったとしたら、頂いた完熟の黒コショウの広がり方にも気付かなかったことでしょう。

そして、余韻に赤色のレーズンのような、フルーツ感のあるフレーバーが登場するのです。それは、完熟した実を使っているので、「赤色」のフレーバーが登場するのでしょう。
一般のSBの黒コショウでは、そういったフルーツ感は感じられないのです。

この出来事から、普段生活の中で食している「普段使い」の食材のインプットがとても大切なのだと気がつきました。
「普通のレベル」をインプットするからこそ、それとは異なる「モノ」に気が付けるのです。
それが「非凡さ」です。

それは、「普通」を覚えていないことには、「非凡さ」は理解できないということです。
ですので、「普通の食生活でのインプット」の重要性を唱えたいと思っているのです。

普通を知らなくては、良質は見えないということなのだとボクは思うのです。

「芸能人格付けチェックMUSIC」コーヒーの質と共通点があることに気がつきました。
昨日は定休日で外で外食を済ませて自宅に帰ってテレビを点けると、「芸能人格付けチェックMUSIC」という特番をやっていた。
途中から見たのですが、どうやら「MUSIC」に特化した格付けで、どちらが一流の楽器、および演奏者なのか?というのを当てるものでした。

学生時代に吹奏楽をしていたうちの相方も一緒に見ていて、音を聞いて「どちらが良いものか?」を選んでみると、不思議と理解できるようになっている自分がいることに驚きました。

そして、それは、これがまた不思議で、コーヒーの品質の良し悪しと見るところが同じなのです。
それは「美しさ」とか「キレイさ」という問いかけを持ちながら、日頃から取り組んでいる人には、きっと理解できることなのだと思うのですが、ほぼ一緒の感覚で「美しさ」が見えるということは、「共通点」があるということなのだと思いました。

まずは、コーヒーもそうなのですが、音にも「厚み」や「余韻」があります。
良いものには、「透明感」とか「丸み」や「艶やかさ(つややか)」があり、劣るものには「ボヤッと感」や「歯切れの悪さ」があったりします。

コーヒーの風味の中のそういった情報を普段から読み取るようにしていると、音もそっくりそのまま、そういった情報が当てはまることで、どちらが「美しくて」どちらが「美しくない」のかが理解できるのです。
なので、途中から見ていたのですが、見ていた範囲では全問が正解でした。

そして、「品質の良さ」とは「美しさ」なのだという理解も生まれました。
「美味しい(おいしい)」という漢字も、「美しい」「味」と書いて「おいしい」というではありませんか。
なので、食の勉強「食育」は、「食の美しさ」を学ぶということなのだと思ったのです。

そのためには、口のなかで感じている情報の「何が美しくて」、「何が美しくないのか?」という情報を読み取る勉強をしていかなければいけないということだのだと思うのです。
「好き嫌い」では、共通の「美しさ」は見つけることが難しいことでしょう。
ですので、食でも「質の良さ」を感じ取りたいという人は、そういった「美しさ」がどこにあるのか?を探すことが大切なのだと考えています。

そういった口内の意識の向け方の基本を感じ取るための講座を、香茶屋では取り組んでいます。
毎月1回、当店の定休日を利用して開催しています。
浜松市の駅の南にある、「ビオあつみエピスリー浜松店」にて、毎月開催しております。
14:30〜と、18:30〜 の2講座を同日に開催しておりますので、興味がございましたら、当店のHPの「掲示板」に情報を貼ってありますので、ご覧ください。

自分を見つめることも大事です。
10/19(金)までの平日に限り、「JCRC2018」3位入賞記念感謝祭として、喫茶コーナーおよびテイクアウト・ドリンクコーヒーをご希望されるお客さま1人100円値引きセールを開催しています。
(*その他のサービスやクーポンなどで重複した値引きはできませんので、ご了承ください。)


不思議な話ですが、なにかの高みを目指している人というものは、業種がちがっていても話の歯車は合うものなのだということを知っています。
それは、深く考えていくと、論理であったり、感覚であったり、哲学的な要素であったりするからだとボクは考えています。

ボクがずうっと「質の良さとは?」という美味しさを目標にコーヒーの味づくりをしていて気がつくことは、論理的な考え方や理論的な考え方の柱と、もうひとつは「感覚」という柱の2つの要素が大切なのだということです。

ボクを含め、ほとんどの人たちは、どちらかに偏っているものです。
偏っているということは、どちらかの意識が低いということです。
まずは、そこに気がつくことが大切で、そしてその足りていない方を学ぶことで、2つの柱を同じ太さに育てていくことが大切なんだと考えています。

これらは、話を聞いていると「どっちの人間」なのかが理解できますので、まずは自分がどちらに偏っているのかを知ることから始めるとよいと考えています。

ですが、以外と自分自信では「自分が見えていない」ことがあります。
先日来店された常連さまは、「自分では感覚寄りの人間」だと思い込んでいたようですが、端から見ると明らかにボクと同じく「理屈人間」だったので、教えてあげました。
すると、本人はずうっと「感覚寄り」だと思っていたというくらいに、自分では自分のことがきちんと見えないものであったりします。

まずは、自分はどっちよりの人間なのか?を見つめることから始めてみると、意外な発見があるかもしれませんよ。

「非凡さ」を感じ取れるかがカギ。
明日は、8月末におこなわれました焙煎の競技会「JCRC 2018」の決勝大会の表彰式が、9/26~9/28の3日間で開催されているアジア最大のコーヒーイベント「SCAJ 2018」のなかでとり行われるので、そこで3位までに授与される「トロフィー」をいただいてきます。
焙煎の競技会は、3日間をかけて競われる大会となり、なかなかその一部始終をイベント内でお見せするのが難しいので、別の日程にておこなわれ、表彰式だけはイベントのなかでとり行われています。


昨晩、帰宅するとウチの相方が「目をつぶって」と言うので、「なんか、ニオイを嗅がされるな」と思っていると、「これ、なんのニオイがする?」と、なにかの袋の中のニオイを嗅がされました。

「なんだろう?なんか知っている香りがある?」
と思って探していると、「クミン」や「紫蘇」なんかの香りが思い浮かびました。
目を開けてみて、「それ、なに?」と聞くと、以前常連さまから頂いた「黒コショウ」でした。

ずうっと、ミルの中に以前買ったコショウが入っていたので、それを使い切ってから、その頂き物の「黒コショウ」を使おうと考えていました。
そして、ようやく以前のが無くなったので、とりあえず少量だけ挽いてサラダの上に振りかけていました。

野菜と一緒にですが、その黒コショウがかかった部分を口に入れると、今までの黒コショウの香りの広がりとは全然異なり、その非凡さに驚きました。

一般の黒コショウが、口の中で縦方向に香りが広がるのに対して、その頂いた黒コショウは、横方向の広がりがあるのです。
そして、柔らかな広がりです。

ホールの香り(アロマ)からでは見抜けなかった香りに、レーズンのような赤紫色のフルーツ感が香ります。
こんなフルーツ感のあるコショウは初めて体験しましたので、その余韻にうっとり。

なんで、この出来事を書いたかというと、良質な素材には、必ず「非凡さ」が感じられるのです。
「非凡さ」を検索すると、「なみのものより、ずっとすぐれているもの。こと。」と表示されます。

テイスティングの能力は、そういった「なみのものより、ずっとすぐれているもの。」が見分けられるようになる能力でもあるのだと言えると思っています。

当店は、コーヒー屋ではありますが、良質な「スペシャルティコーヒー」を取り扱うことで、「良質さとは、なんなのか?」を学んできました。
すると、コーヒー以外の食材でも、その良質な食材には「非凡さ」があることが見て取れるのです。

ですので、当店では「これは。一般的なモノではないな。」と感動を覚えた食材も販売しているのです。
それが、「高橋さんちのトマト」であったり、「カワシマハネーさんの生蜂蜜」であったり、「八海山のあまさけ」であったりするのです。
これからも、いろいろとコーヒー以外の食材も増えていくと思いますが、どこにその「非凡さ」が見受けられるのかを、キャッチできるようになると、出会ったすべての食材の中のフレーバーから、その「非凡さ」を見分けれるようになることでしょう。



 


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