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意識は、言葉で説明することから始まる。

公開日:2023年7月1日更新日:2023月07月01日
カテゴリ:良質さのお話。

意識は、言葉で説明することから始まる。

意識の変化は、とてつもなく大きな変革なのだと思っている。
なにかが変わるためには、意識が変わらなければならない。
その意識がしっかりと変わるためには、言葉で説明できなくてはならないのだと考えてもいる。
なので、気づいてはいるがまだ言葉ではその意識の対象をきちんと説明できない場合は、その意識は固まっていないのだと思っている。
だから、なにかを変えたい場合には、しっかりと意識の変化を言葉で説明できるようになることが大切なのである。

5月末に訪れた東山魁夷美術館にて、特に唐招提寺御影堂障壁画 準備作の「灕江暮色」、「黄山雨過」などの作品をみて感銘を受け、ボクが考えていた美しさの先にあるものの存在に気づかされ、それをどうしたら表現できるのか?をずっと考えていた。
言葉に置き換えてしまうと素朴な印象になってしまうのですが、要は心に直接訴えてくる叙情的な美しさの表現とでも言うのだろうか、それを「心象風景」と言うのだとも思ったのだが、そのような表現をするためにはどのような技法を使うことなのかを考えていたのだ。

コーヒーの美しさの評価基準としては、スペシャルティコーヒーの定義の中にも記載のある「爽やかな明るい酸味特性」といわれる表現になるものだと理解をしている。
ただしそこには液体の質感やローストにおける良質さは示されておらず、コーヒー生豆のポテンシャルを示す「酸味特性の提示」を示すにとどまっている。

ゆえに、コーヒーの良質な表現に至っては、焙煎士およびバリスタが提示するものであるのだと考えることになる。
そう考えた場合に必要になることが、カップの中のコーヒーという液体の「美しさの表現」であるのだと言える。
もちろん、生豆のポテンシャルを評価する「爽やかな明るい酸味特性」を表現した上でと言うことが前提となることは理解ができることだろう。
その酸味特性の表現を持続させた上ならば、どのような表現をしようと良質なのである。
ちなみに、それを遮るような表現は、生豆が活かされていない表現だと考えることが出来るのだ。

そして、気づいてしまったボクの考える美しさの先にあるものの存在は、美しいとか美味しいとかフレーバーがどうとか考える前に「心に届いてしまうもの」であるのだと思ったのだ。
それをどう表現するのかと言えば、先日理解ができた「コーヒー生豆はローストによって活かされ、ローストはコーヒー生豆によって活かされる。」と言う意識から生まれるものだ。
簡単に言えば、透明感が存在する厚みを表現をすることなのだ。
そのためには、それに見合う仕入れをすることであり、そしてローストの透明感で厚みを表現することによって互いに活かされる存在の対象とすることで表現できるものなのだと考えている。

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